井筒俊彦『コスモスとアンチコスモス』

 宗教の知識も哲学の知識も中途半端な者にとっては正直、重く、難解だった。それでも、刺激的で面白かった。副題に「東洋哲学のために」とあるように、西洋の宗教・哲学・思想とイスラムの宗教・哲学・思想を通じて、もう一度、東洋哲学を捉え直す。そして、そこに混沌と対立の現代における東洋哲学の役割を見直す。でも、もうちょっと勉強しないと、理解しきれないなあ、という思いも。目次で内容を見ると、こんな感じ...

I .事事無礙と理理無礙ーー存在解体のあとーー
II .創造不断ーー東洋的時間認識の原型
III.コスモスとアンチコスモスーー東洋哲学の立場からーー
IV.イスマイル派「暗殺団」ーーアラムート城砦のミュトスと思想ーー
V.禅的意識のフィールド構造

 この魅惑的なタイトルに惹かれて読み出したのだが、やはり難解だった。もとは講演録なので、その意味で、わかりやすく解説してくれているのだが、それでも、しんどい部分がある。知的好奇心は刺激されるんだけど。
 特にアサシン(暗殺者)の語源として有名なイスマイル派「暗殺団」(俗に「暗殺教団」ともいわれるが、筆者は厳密に「暗殺団」と)の話は面白かった。麻薬で天国を味あわせて云々という一般にいわれている「暗殺教団」の話は対立したキリスト教圏やスンニ派が作り上げた伝説で、宗教集団としての構造を持っていたという話など興味深い。イスマイル派の中でも過激集団で、最後はコーランの否定にまで走ったというのも知らなかった。イスラムの中でも異端中の異端だったのが、それには、それなりの宗教上の論理がある。
 で、この本の中から興味深かった部分をいくつか抜き書きすると...
 まず、コスモスとアンチコスモスについて...
 コスモスとは、宇宙ということではなくて、「無数の意味単位(いわゆるものとこと)が、一つの調和ある、完結した全体の中に配置され構造的に組み込まれることによって成立する存在秩序」。カオスは、コスモスの対極にあり、「コスモス成立に先立つ空虚な「場所(コーラー)」、あるいは無定形で不動的な存在の原初的なあり方を意味」する。というわけで、

まだ秩序づけされていない、そのような原初の空間の只中に、美しいーーギリシャ語の「コスモス」には「美」「美化」の含意があるーー調和にみちた有意性の空間が、コスモスとして現出する、と考えるのである。注意すべきは、この段階では、カオスは、コスモス成立以前の状態、秩序以前の無秩序、であって、コスモスに敵対する秩序ではないということである。

 一方、アンチコスモスとは何かというと、こんな感じ...

聖書ではコスモスは、神の創造的意志に応じて現出した。プラトンはコスモスを、神的知性(ヌース)によって形成され支配されるロゴス的存在秩序であるとした。このようなコスモスに対しては、カオスは本質的に無力なのである。だが時の経過とともに、カオスは、コスモスを外側から取り巻き、すきあらば侵入してこれを破壊しようとする敵意に満ちた力としての正確を帯び始める。このような否定的、破壊的エネルギーに変貌したカオスを、私は特に「アンチコスモス」と呼ぶ。

 そして、そうした上で現代はどういう時代かというと...

 現代はカオスの時代だとよく人が言います。ノマディズムの時代だ、とも。要するに、存在秩序解体の時代、ということです。事実、規制の存在秩序、従来我々が慣れ親しんできた意味単位の組み込み組織が、我々の目の前で急速に壊れていく。いわゆる「非日常」を求める人の数が激増してオカルティズムが流行し、人間生活の至るところに非合理的なものへの欲動が姿を現わす。このような一般的時代風潮に乗って、純粋に哲学的な思惟のレベルでも、アンチコスモスの精神が、より根源的に、徹底的に、存在解体を行いはじめたのです。

 この論文、初出は1987年ころのものだが、現代に通じるなあ。カオスと言うよりも、アンチコスモスの時代かあ。でも、これは西洋哲学的認識ともいえるといわけで...

 ギリシア時代からこのかた、西洋哲学の主流は、デリダが言う通り、根本的に「ロゴス中心主義」的でありました。ロゴスは「有」の原理であって、「無」ーー東洋哲学の説くような根源的「無」ーーはそこに入り込む余地がありません。
 西洋哲学は、古代以来、孜々として「有」を追求して来ました。先に述べましたように、ニーチェあたりから、そして特に現代のポスト・モダン思想家において、ようやく「有」の解体が本格的に始まったのです。これに反して、東洋の哲学伝統の主流は、始めから「無」中心的です。先刻ちょっと申しましたように、「有」を存在の表層に認め、深層に「無」を見る考え方です。
 西洋思想では、「有」の論理的否定としての「無」ではない「無」(つまりいわゆる東洋的「無」)は、多くの場合「虚無」として体験され、「死」を意味します。ところが東洋では、「無」こそ生命の根源であり、存在の根源であって、「有」がかえって「死」なのです。

 哲学だなあ。で、ここに「東洋哲学」を新たに考える意味がある、というわけで...

 東西の哲学的叡智を融合した形で、新しい時代の新しい多元的世界文化パラダイムを構想する必要が各方面で痛感されつつある今日の思想状況において、もし東洋哲学に果たすべきなにがしかの積極的役割があるとすれば、それはまさに、東洋的「無」の哲学が、今お話したような、内的に解体された、アンチコスモス的なコスモス、「柔軟なコスモス」の成立を考えることを可能にするというところから出発する、新しい「柔軟心」の思想的展開であるのではなかろうか、と私は思います。

 なるほど。しかし、それを思索するには、井筒俊彦氏のような広範な知識と知性が必要とされるなあ。
 続いて、イスマイル派「暗殺団」について。まず、ここから新鮮だった。

 「ニザール派」ーー中近東の歴史を親しんでいる人にとっては、この名称は直ちにアラムートの城砦を、そしてそこで活躍した暗殺者たちの憶い起させます。しかし奇妙なことに、こうして憶気されるアラムートの岩石峨々たる光景に現れてくる中心人物の姿は、イマーム・ニザール自身ではなくて、ニザールの側近にあって彼をイマームに仕立て上げ、アラムートという小さな場所を、他派のイスラーム教徒と十字軍的キリスト教たちの恐怖と呪詛に彩られた巨大な幻影の世界にまで作り上げた一個の魁偉な人物なのです。その人物の名はハサネ・サッバーハ。ハサネ・サッバーハとはサッバーハの息子ハサンという意味。アラムートの城砦、そしてその奥深いところにひそかに形成された暗殺団組織は、ハサネ・サッバーハという名と切り離して考えることはできません。

 なるほどぉ。で、このハサネ・サッバーハが、暗殺の指示を出す「山の老人」だったというのだが、この「山の老人」という言葉自体が、誤訳だったらしい。ハサネ・サッバーハは、イスマイル派の伝教師たちの指導者である最高伝教師だったという。で...

 最高伝教師のことを、イスマイル派の外部の世間では Shaykh al-Jabal と呼んでおりました。文字通り訳せば、「山(ジャバル)の首領(シェイフ)」というような意味なのですが、十字軍の人たちは、この「シェイフ」という語を「老人」の意味と誤解して「山の老人」ーー例えば英語では Old Man of the Mountain などーーと訳しました。この訳語は現代でもなお使われています。しかし、アラムート城砦の奥処にひそむこの人の姿を見た者はいないということになれば、「山の老人」という名が、十字軍の将兵たちの心に何か気味悪い魔性的存在のイマージュを喚び起こしたとしても、なんの不思議もないでしょう。

 誤訳して、かえって自分たちでイメージを拡大してしまったと。もともと、どこか神秘的な存在だったから、ますます、そうなったのかも。「山の首領」だと、ただの山賊になってしまって、現代にまで伝承される存在になったかどうか。
 で、アサシン伝説について

 しかし「暗殺者」がハシーシュ常用者、ハシーシュ中毒患者だったという解釈は、いかがなものでありましょうか。邪悪な「山の老人」が、ハシーシュを用いて純心な若者たちを堕落させ、異常な精神状態に引き入れておいて、自分の思いのままに使ったのだという、十九世紀まで西洋人の間にひろまっていた考え方には、いささかあやしいところがあります。暗殺の使命を帯びた若者たちが、いついかなる場合にも、用意周到、沈着冷静、計画的に行動し、ついに目的を達して、自らも従容として死んでいくーー最初から最後まで己れを失うことがなかったことを思い合わせてみますと、それがハシーシュ常用で正気を失い、あるいは一時的な異常な昂奮状態に陥った人間にできるようなこととは到底考えられません。何カ月も、時には何年も、じっと機会到来を待ち、時が来たと見るや、突如、正体を露わして相手を短剣で刺し殺すーーついでながら暗殺者たちは飛び道具は一切使わず、必ず短剣を用いたものでありまして、それが物語の中では、ハシーシュで夢心地になった若者に、「山の老人」が黄金の短剣を授ける、という形になっておりますーーそれは、麻薬中毒常用者に期待できるような行動ではありません。アラビア語の文献で、暗殺者たちを指す名称として「ハシーシュ中毒」という語が使われたのは、「暗殺者」の常軌を逸した行動を理解しかねた一般のイスラーム教徒の、彼らに対する怒りと憎しみの表現であったと考えるほうが至当です。十三世紀の中近東一体にはハシーシュが相当にひろまっておりまして、それを常用することによって性格破綻者となった人を表わす「ハシーシー」という言葉は、本当のハシーシュ中毒患者だけでなしに、もっとひろく、社会の嫌われ者、人非人というような意味のネガティヴな価値用語として使われれていたのであります。

 こっちも誤解と伝説の産物だったらしい。

 「暗殺者」にしても「ハシーシー」にしても、みんな局外者がイスマイル派「暗殺団」のメンバーを指して使う言葉だったのでありまして、イスマイル派の内部では、決してそんな言葉は使われておりませんでした。暗殺者にたいするイスマイル派の公式の名称は、前にも書きましたように、「フィダーイー」ーー「フィダー」とは「身代わり」というのが原意。従って「フィダーイー」は、己れの生命を犠牲に供して相手の生命を守る人、己れの全存在を挙げて、己れの愛する、あるいは尊敬する、人に忠誠をつくす人、の意ーーという語であったのであります。

 立場が変われば、言葉も変わる。
 イスマイル派は、宗教的にもイスラムの革命集団だった。その一つが霊的復活。

「復活」とは、普通のイスラームの思想では、終末の日、最後の審判を前にしてすべての死者が甦ることですが、ここではそれ以前に、それよりも「もっと偉大な復活」、すなわち全人類の霊的復活が、アラムートの至聖所を中心軸にして生起するという考えです。(略)復活以前の状態においては、人は宗教法によって様々に義務づけられていた。立法の定める形式的な礼拝の儀式を通じてのみ、ひたすら神に向って己れの顔を向け、そこに現前する神にどうにか触れることができたからである。だが今や、霊的復活によって「楽園」に甦った人々にとって、神に近づくための一切の法規は不要となる。彼らは律法の支配から完全に超脱する。例えば、今まで人は、宗教法の規定に従って、一日五回礼拝するように義務づけられてきた。せめて日に五回だけでも、清浄な心身をもって、純粋に神を憶い、神とともにいることができるように。しかし、霊的復活を経た今、そのような形式は無意味となる。なぜなら、この新しい状態においては、人は常に神といるのであり、存在そのものが、すなわち礼拝であるのだから、と。注意すべきは、礼拝とか断食とかメッカ巡礼とか、個々の法規が問題なのではない、律法それ事態が端から端まで全部一挙に無意味になってしまうということなのです。

 過激だなあ。実際、メッカに背を向け、ラマダンを無視したこともあったらしい。もっとも、この「復活」思想は長くは続かず、再び、律法順守のイスラムに戻ったという。イスラムといっても一つではないのだな。こうしたものを読むと、イスラムの中に宗派対立があるというのもわかる。
 ともあれ、難しいけど、刺激的な本でした。