梅棹忠夫「行為と妄想ーーわたしの履歴書」

行為と妄想 わたしの履歴書 (中公文庫)

行為と妄想 わたしの履歴書 (中公文庫)

 「行為と妄想」とは、いかにも怪しげなタイトルだが、「知的生産の技術」「文明の生態史観」の著者であり、「国立民族学博物館」の初代館長であり、生みの親でもある梅棹忠夫の自伝。日経の名物企画「わたしの履歴書」を大幅加筆したもの。梅棹氏の著作はいくつも読んでいるが、先日、国立民族学博物館を行ったのを機会に、その足跡を振り返ってみたくなって、この本を読んでみた。
 なぜ、「行為と妄想」という奇妙なタイトルになったかの理由については、こう説明している。

 登山家のあいだでは山ゆきをかたるのに、しばしば「タート」ということばがつかわれる。ドイツ語で「行為」を意味する語である。わたしも山へいっていた成年のころは、よくこのことばをもちいた。(略)わたしは思索を主とする書斎人ではなく、身をもって行動する「行為人」であった。
 たび重なる「行為」に先行して、わたしはつぎからつぎへとなにごとかを夢想し、計画した。妄想というほうがあたっているかもしれない。その意味では、わたしは「妄想人」であったのであろう。しかし妄想が先行したからこそ、行為が成立する。すべては妄想からはじまるのである。こういうつもりで『行為と妄想』という題をえらんだのである(略)

 夢を見ることからすべてが始まる。シリコンバレーベンチャーみたいだけど、確かに「妄想」したから、朝鮮半島白頭山、モンゴルの探検をはじめ、世界中を歩き、いち早く情報技術のフロンティアを展望したのだろうなあ。「情報の文明学」は、いま読んでも、IT社会やメディアを考察するうえでの参考になる。大阪万博にコミットし、会場の跡地に国立民族学博物館を実現したのも、妄想があってのことだなあ。夢を見ることも、ひとつの能力だというけど、この本を読んでいると、わかるし、それをタイトルに選んだということは、小さくまとまるな、ということなだなあ。晩年、失明してからも、周囲の協力を得て著作を残しているが、そうした協力を得ることができたのも、梅棹氏の「妄想と行為」のエネルギーというか、オーラが強くて、周囲を巻き込むのだろうなあ。
 と同時に、梅棹氏の足跡をたどっていて思うのは、日本の戦前・戦中・戦後史から、どこか外れていきていたこと。戦争中はモンゴル探検に従事し、それも広い意味では戦争のため、ということでもあったのかもしれないが、兵隊には行っていない(敗戦後の引き揚げでは苦労しているのだが、それも大きく触れるわけでもない)。だから、司馬遼太郎のような戦争体験はない。一方で、60年安保をはじめとした戦後の進歩主義、左翼運動とも、まるで関係ない。それよりも探検、研究の生活を送っていたから、ある意味、オタク的だったのかもしれない。といって、従順というわけではなく、先輩の学者たちの研究の誤りを公然の場で指摘し、ボコボコにしていたというから、異端児だったのだろう。探検の費用を得るために、メディアを利用する才覚もあったし、博物館の建設でも政治家に接近することも厭わない。
 本当の意味で自由人であり、ベンチャー精神に富んだ人だったのだと思う。21世紀に生まれていたら、アドベンチャーに挑んだのか、ベンチャーに挑んだのか。ともあれ、イノベーションに向けて「妄想と行動」を繰り広げたのだろうなあ。
 最後に見出しで、中身をざっくり見ると...

第1章 幼年のころ
第2章 山への目ざめ
第3章 探検隊の見習士官
第4章 モンゴル行
第5章 戦後の生活
第6章 比較文明論への旅だち
第7章 アジアからアフリカへ
第8章 京都大学にかえる
第9章 ヨーロッパと万国博
第10章 博物館づくり
第11章 公私多忙
第12章 文化開発のプランニング
第13章 世界体験
第14章 老年の波乱
第15章 老後のくらし

 波乱万丈の人生。旧制高校の時代には、こんな生き方があったのだなあ。小さく、まとまらずに、もっと「妄想」を持って、生きていかなければならないのだなあ。と同時に、エスペラント語を学び、日本語については、ローマ字論者。まさにグローバル時代の日本人の先駆けのような人だったなあ。