アンドリュー・クレピネヴィッチ、バリー・ワッツ『帝国の参謀』を読んで

帝国の参謀 アンドリュー・マーシャルと米国の軍事戦 略

帝国の参謀 アンドリュー・マーシャルと米国の軍事戦 略

 昨年、読んだ本のなかで最も面白かった本の1冊だが、今年になってトランプ政権が誕生して一段と気になる本になってきた。副題に「アンドリュー・マーシャルと米国の軍事戦略」。原題は「THE LAST WARRIOR : Andrew Marshall and the Shaping of Modern American Defense Strategy」。訳すと「最後の戦士ーーアンドリュー・マーシャルと現代米国軍事戦略の形成」だろうか。マーシャルは1973年のニクソン大統領時代からオバマ政権の2015年まで米国防総省ネットアセスメント室長として米国の軍事戦略の形成に関わってきた人物の評伝。
 この本が刺激的なのは、筆者が「本書を執筆したそもそもの目的は、アンドリュー・マーシャルの伝記を作ることではなく、彼の知の歴史をたどることだった」というように、米国の軍事戦略だけでなく、現状をどのように認識し、これから起こりうることをどう想定するのか、そこに至る知の軌跡と、そのための学際的思考の変遷が描かれていることにある。単なる軍事力の数量比較だけではなく、組織論、社会論にまで入っていく。軍事界のドラッカーといった感じで、経営論としても参考になる(というか、軍事戦略の策定にあたって、最新の経営学も研究を取り入れている。確かに大企業も、国防総省・軍も巨大組織で、マネジメントが重要な要素を占める)。
 マーシャルは、米ソ対立の評価(ソ連は自らの経済力を超えた巨額の軍事費負担によって崩壊すると見て、米国は最小の軍事費でソ連に最大の軍事費を強いる戦略を取る)、冷戦崩壊後の中国の台頭、IT技術の進化による軍事革命(精密誘導兵器の重要性)などを予見する。具体的な政策を提言するのではなく、現状の問題や今後の課題をレポートし、米国の軍事戦略の方向性を決める。政府には様々な情報が入るが、それが正しいとは限らない。また、相手が必ず合理的な判断をする主体とも限らない。相手には相手なりの組織の事情があって、それによって軍事政策が決まることもある。自分たちの組織が官僚主義であれば、相手にも官僚主義の効率の悪さが存在する。組織の事情や組織内の個人の私利私欲に囚われずに謙虚かつ真摯に現実を直視することから問題や課題が見えてくるのだな。
 核兵器の時代となり、大国間の戦争は世界の破滅を招くという状況の中で、覇権国家が自らの存亡をかけて物事を決めていかなければならない時、政治的な利害や個人的な感情で物事を見ない人間を組織の中に持っておくことがいかに重要かということを米国は知っていたのだな。必ずしも意見を採用するわけでなくても、内部に異論・異説を唱える者を置き、さまざまな角度から点検する。目先に膨大な業務を抱え、日々の問題の処理に追われていると、どんなに優秀な人間でも物事が見えなくなる時がある。長期的な視点でみることができなくなる。それを知って、スタッフを置いておくところが米国の強みなのだろうし、強い組織の特徴かもしれない。しかも共和党民主党、政権が変わっても、維持し続けたところがまたすごい。無用と思った大統領や国防長官もいたのかもしれないが、無用の用を知ってか、つぶしはしなかった。
 面白かったのは、官僚主義という点では、米国も変わらないこと。軍も官僚機構であり、変化を嫌う。ただ、日米の違いは、その官僚主義が自国を破滅に導くのではないかという危機感を持つ人々が政府内にもいて、政治に取り組む。官僚が改革に抵抗することは当然のこととして、それをどう乗り越えていくのかを、企業経営者、経営学者まで交えて研究しているし、若手官僚・軍人を集めて、次の時代の課題について問いかけ、早くから教育している。これもまた米国の強みなのだろう。日本では、官僚批判はあっても、官僚の行動様式をどう変えるのかまで真面目には研究していないのではないか。そうした意味でも学ぶところは多いと思った。
 加えて、これを読んでいると、日本の防衛戦略も大きな曲がり角に立っているのだな、と実感する。それは中国が台頭しているという意味だけでなく、米国の軍事戦略も変容しているということ。沖縄は米国にとって戦略的価値とコストを考えた時に、今までとは同じとは言えないかもしれない。必要なのは、米海軍基地のある横須賀、佐世保であり、空軍の情報網(三沢基地横田基地?)であって、沖縄に、あの規模の基地が必要かどうか。嘉手納を海兵隊の基地にして、普天間は返還ということも、あながち空論とはいえない。そのとき、日本も太平洋の安全保障のために軍事的な分担を求められるのかもしれない。
 日本としては日本独自の軍事戦略が必要とされるのだろう。その際には、右も左も、政治家は観念ではなく、費用対効果を基本に自分の頭で考えなければならなくなる。米国との同盟を基軸としつつ、中国との関係をどのようにしていくのか。日本自身のネットアセスメントが必要になるのだろう。平和(安定)を守るために、どうするのか。周辺諸国との安定した関係をどう構築していくのか。そのためには学際的研究も必要になるのだろうが、そこで気づくのは学問の層の薄さ、知性の乏しさなのかもしれない。技術だけでなく、政治、経済、社会から民族学文化人類学を含めて総合的な研究が必要になるのだろう。
 ともあれ、米国の懐の深さと同時に、日本の今後について、日本の知性について考えさせられる本だった。果たして、ネットアセスメントをしてみたとき、日本はどういう位置にいるのか? 米国、中国、ロシアにとって、どのような位置づけにあるのか? 北朝鮮という予測不能ストリートファイター国家にどう対応していくのか? テクノロジーは軍事をどのように変えていくのか? 日本の経済力はどう推移するのか? 財政は? 
昭和16年夏の敗戦 (中公文庫) 考えてみれば、ネットアセスメント室というのは、戦前の日本にあった総力戦研究所のようなものなのかもしれない。昭和16年の夏に日米戦争のシミュレーションをして「日本必敗」の結論を出した。そう考えると、最も大切なのは、そうした知識を使う政治家のほうかもしれない。この顛末については、猪瀬直樹氏が「昭和16年夏の敗戦」という本を書いている。猪瀬氏、昔はいい仕事をしていたんだなあ。
 そしてトランプ政権が誕生した今、アルフレッド・マーシャルはトランプ政権の下でも重用されたのか。それとも、役立たずの非実用的インテリとみられて、トランプお得意の「You’re fired」の一撃を浴びて、国防総省から放逐されたのか。どうなんだろう。いいときに辞めたのかもしれないなあ。