島田裕巳『神道はなぜ教えがないのか』を読む

神道はなぜ教えがないのか (ベスト新書)

神道はなぜ教えがないのか (ベスト新書)

 森本学園は神道系の小学校をつくろうとしていたなどといった話もあり、神道について勉強してみたくなって読んだ本。新書とあってコンパクトで読みやすく、神道に関する概略を知るのに最適の入門書だった。神社だったり、神道だったり、日本の古くからの神々を祀っていて、身近な存在であるのだが、意外と、どういうものかは知らない。神道の成り立ち、そして明治以降の国家神道など、ポイントがわかり、これから勉強していく上での参考になる。
 長くなるが、目次で内容を見ると…

第1章 「ない宗教」としての宗教
第2章 もともとは神殿などなかった
第3章 岩と火 原初の信仰対象と閉じられた空間
第4章 日本の神道は創造神のない宗教である
第5章 神社建築はいつからあるのか
第6章 「ない宗教」神道と「ある宗教」仏教との共存
第7章 人を神として祀る神道
第8章 神道イスラム教の共通性
第9章 神主は、要らない
第10章 神道は変化を拒む宗教である
第11章 遷宮に見られる変化しないことの難しさ
第12章 救済しない宗教
第13章 姿かたちを持たないがゆえの自由
第14章 浄土としての神社空間
第15章 仏教からの脱却をめざした神道理論
第16章 神道は宗教にあらず
第17章 「ない宗教」から「ある宗教」への転換
第18章 神道の戦後史と現在

 こんな内容。「ない宗教」というのは、こういう意味。

開祖も、宗祖も、教義も、救済もない宗教が神道である。

 そう言われてみれば、そうだな。そして、この「ゆるさ」が日本の許容力であり、強さともいえるのだろう。しかし、先日も本で読んだ「日本会議」など最近、語られている「神道」は、もっと排他的な印象がある。このあたりの源流は何だったのか、と思うと、こんな記述が…

 江戸時代に入ると、賀茂真淵本居宣長といった国学者が、日本の古典を研究するなかで、そこに日本人独自の精神性を見出すようになり、古代へ回帰する復古神道の流れが形成されていく。
 その流れを大きく発展させたのが、やはり国学者神道家の平田篤胤であった。篤胤は、禁教になっていたキリスト教さえ研究の対象とし、さまざまな宗教に通じていたが、従来の神道と仏教が習合したあり方を強く批判し、独自の神道神学を打ち立てていった。
 やがて各地の神社に、復古神道の考えに影響され、仏教を排除した純粋な神道を確立しようとする神道家があらわれるようになる。

 なるほど。一神教キリスト教も研究していたのだ。そして…

 やがて明治維新に際しては、復古神道の考え方を受け継いだ国学者神道家が明治新政府にも参画し、神道と仏教とを分離させる神仏分離の政策を推し進めることになっていく。近代以降の神道は、復古神道の流れをくみ、古代への回帰をめざすものとなった。そこには、歴史や変化をないものにしようとする力が働いている。

 江戸末期から明治にかけて出てきた思想なのだなあ。それが国家神道になっていくのか。排他性は、キリスト教から学んだのだろうか。
 こうした神道理論の樹立にあたって、本居宣長とともに中心的な役割を果たした平田篤胤の話では、こんなエピソードも。

 結婚した篤胤は、妻から宣長の『古事記伝』を勧められ、それで宣長の存在を知ることになる。だが、その時点では、すでに宣長は亡くなっており、篤胤は、宣長死後の弟子になる。ただ、篤胤は、夢のなかで宣長から弟子になることを許されたとしており、その入門の仕方はかなり特異なものであった。
 そこには、篤胤が後に、仙界や冥界といった異界に強い関心を向ける萌芽が示されている。篤胤は、宣長にならって『古事記』に強い関心を寄せ、そこから日本人に固有の考え方を導き出そうとしたが、宣長とは異なり、『源氏物語』のような文学作品には関心を見せなかった。
 宣長が、ひたすらからごころを排して、もののあわれとして示された古代の日本人の心性を探り出そうとしたのに対して、篤胤の関心は幅広く、日本の古代史だけではなく、仏教や漢学、医学にも関心を示し、さらには、イエズス会の司祭であるマテオ・リッチの翻訳なども目を通していて、キリスト教にも関心をもっていた。

 神秘主義的な側面、そして、一神教的な排他性は、平田篤胤神道観に発しているということなのだろうか。
 神道に関する本や論文は、ほとんど読んだことがなかったので、どの話も新鮮だった。いまでは古来からの伝統と思える初詣や神前結婚式も定着したのは昭和と聞くと、そんなに新しいものだったかと思う。考えてみれば、靖国神社は明治、明治神宮は大正にできたもの。こちらも古いようで、1000年を超える天皇家神道の歴史から見れば、新しい。伊勢神宮新宮市の神倉神社などに行くと、日本の神々を感じる気がするのだが、「それに比べると、つくりは壮大であっても…」と思った感覚は根拠の無いことではなかったのだ、とも思う。
 ともあれ、神道の入門書として良かった。この後、国家神道、日本の神々、日本人の宗教心・価値観、他の国内外の宗教などについても勉強してみたくなった。
 それにしても、これまで行った中で、最も日本の神々を感じたのは神倉神社だなあ。この本の中にも名前が出てくる。