シェイクスピア『ジュリアス・シーザー』ーーポピュリズムは昔々から

 「ブルータスよ、お前もか」*1という名台詞は知っていても、読んだことがなかったウィリアム・シェイクスピアの古典。光文社古典新訳文庫安西徹雄訳で読んでみた。巻末の解説を読むと、1599年初演だそうだから、今から400年以上も前の作品なのだが、これが現代を描いているかのような作品。政治家は大衆を利用しようとし、一方で大衆の移ろいやすさに翻弄され、破滅する。今回の総選挙でも見たような話。ポピュリズムを描いているともいえる。つくづく人間というもの、人間の集団である社会は変わらないものだと思う。巻末の訳者あとがきも評論として読み応えがあった。
 読んでいて、面白かった台詞をいくつか抜書きすると...

群衆こそは、シーザーの権力を支える翼。はびこりかけたその羽さえむしり取ってしまえば、もはや、人並み以上に高く飛ぶことはできまい。だが、もし放ってでもおこうものなら、たちまち人の目も届かぬ高みにまで舞い登って、われわれはみな、奴隷さながら恐れおののき、その足元にひれ伏さねばならぬことになるはず。

 「シーザー」のかわりに、いろいろな人の名前を入れることもできそうだなあ。

おお、現代よ、なんと恥ずべき時代なのか、貴様は! ローマよ、貴様、高貴な血統をことごとく失ってしまったのか。

 「ローマ」ではなく、「日本」について、こう感じている人もいそうだなあ。左にも、右にもいるかな。それぞれ意味は違うだろうけど。まあ、いつの時代でも「現代よ、なんと恥ずべき時代なのか」と叫んでしまうのが人間なのかもしれない。

彼(ブルータス)、民衆の間に人望がきわめて高い。われわれだけでは、罪と見えかねぬことでも、あの男の顔さえ正面に押し立てれば、鉛を黄金に変える錬金の秘術さながら、たちまち高潔にして高貴なる行為と見えよう。

 いまの日本で「錬金の秘術」を持っているのは、小泉進次郎氏だろうか。総選挙では同じような考えで応援を頼んだ人もいるのかな。

権力は、慈悲の心を失えば、たちまち暴力に堕するもの。

 政権に自戒して欲しいお言葉。

象なら落とし穴、ライオンなら網、そして人間を捕まえるのには、お追従の罠にかけるのが一番。シーザーに向かって、閣下はお追従が嫌いでいらっしゃると水を向ければ、あの男、そのとおりだと胸を張る。だが、まさにその時、自分が追従の罠にかかっていることに気づかない。

 政治家だけじゃなくて、どこかの会社の社長さんたちもシェイクスピアを読んだほうがいいかもなあ。

臆病者は、死ぬまでに何度でも死ぬ思いをする。だが勇者は、死を味わうのは一度きりだ。

 このフレーズ、聞いたことがあったのだが、出典が「ジュリアス・シーザー」であることを知りました。

愛が衰え始めた時には、とかくわざとらしい儀礼にこだわる。率直、素朴な信頼には、こざかしい小細工など必要ない。中身のないやつに限って、駆け出しだけは元気のいい馬と同様、勇ましげに表を飾り、いかにも名馬かと思わせたがる。

 なんだか、いろんな人の顔が頭に浮かんでくる。
 ともあれ、シェイクスピアの戯曲、いまに響く名台詞が山のようにある。抜書きしたいものがまだまだある。16世紀の戯曲が21世紀の政治状況も象徴する。それだけ人間、社会の本質に迫っていた作品ということなんだろうし、いまだに、その言葉が生命力をもっているということは喜ばしいことか、哀しいことか。微妙だな。
 ちなみに、フレドリック・フォーサイスの、この本のタイトルも「ジュリアス・シーザー」の台詞からとっている。

戦争の犬たち (上) (角川文庫)

戦争の犬たち (上) (角川文庫)

*1:安西徹雄訳の、この本では「お前もか、ブルータス」