バンクーバー五輪・女子フィギュア、キム・ヨナが圧勝

バンクーバー冬季五輪第14日の25日(日本時間26日)、フィギュアスケート女子のフリーが行われ、浅田真央(19)=中京大=が合計205.50点で銀メダルを獲得した。浅田は五輪ショートプログラム(SP)史上初のトリプルアクセル(3回転半ジャンプ)で2位につけていたが、フリーでは2度のトリプルアクセルに成功したものの、3回転ジャンプが乱れた。SPで首位に立った金妍児キム・ヨナ)(19)=韓国=は歴代女子世界最高の228.56点で金メダルを手にした。SP3位のジョアニー・ロシェット(24)=カナダ=は202.64点で3位、同4位の安藤美姫(22)=トヨタ自動車=は188.86点で5位、同11位の鈴木明子(24)=邦和スポーツランド=は181.44点で8位。

 キム・ヨナが金で浅田真央が銀、演技と現在の実力を考えれば、順当なところ。中継を見ていても、あのプレッシャーの中で、ノー・ミスで演技をするキムは圧巻だったし、得点に現れているように圧勝だった。浅田が試合後のインタビューで悔し涙を押えきれなかったのは、おっとりしているように見えて、やはり気が強いんだなあ。
 今回の女子フィギュア、終わってみれば、キム、浅田に続いて、母親を失ったばかりの地元・ロシェットが3位と、きれいにまとまった結末。最終演技の米国の長洲がのびのびと演技をして4位。まだ16歳だから、怖いものなしだな。安藤は5位になってしまった。鈴木も8位入賞だから、立派なもの。
 しかし、今回の結果、グローバル競争力を高める韓国と、技術にこだわる日本と、何だか最近のビジネス社会を象徴しているようにみえる。キム・ヨナをサポートするチームは、オリンピックで勝つために、どのように得点し、どのようにプレッシャーの中で平常心をコントロールするか、どんな曲や振り付けがバンクーバー五輪で受けるのか、など課題を摘出し、それに対応していくというマネジメントがしっかりしていた。一方、浅田のコーチング・チームは良くも悪しくも「フィギュア道」みたいな感じになってしまった。正統派のロシア・フィギュア的芸術志向、トリプルアクセルなど“先端技術”へのこだわり、などなど、道を追い求めていけば、結果もついてくるみたいな…。それはそれで美しい行き方ではあるとは思うのだが、パフォーマンスをあげることとは別のような…。技術の細部にこだわる日本企業が利益が出ないみたいな…。サムスンソニーパナソニックの勢いの違いみたいな…。日本は、やはりマネジメントが弱いのかなあ。
 でも、まあ、あれだけ悔し泣きをしていたぐらいだから、浅田はもっと強くなるかも。4年後に向けて、動き出すんだろうか。まだ、ふたりとも23歳だもんなあ。そのとき、浅田真央チームのマネジメントは進化しているんだろうか。日本企業のマネジメントも、そのときは進化して、経済は復活しているのか。これって、どっちも問題の本質は同じところにあるのだろうか。

津野海太郎「したくないことはしない」

したくないことはしない

したくないことはしない

 副題に「植草甚一の青春」。植草甚一というと「ファンキーじいさん」のイメージで、若いときの印象がない。仙人のように最初から枯れていた感じで、どんな人生を辿ってきたかといわれると、確かに謎。この本は、晶文社で植草ブームをつくった一連の書籍の編集者であった津野海太郎氏が植草甚一の半生を追ったもの。植草甚一の青春記であると同時に、東京のヒストリーであり、若者文化の歴史書でもある。第1次大戦の戦争景気に湧いた大正と、昭和元禄といわれた1960〜70年代には、都市を中心とした消費文化という共通項があったとか、新鮮な視点。加えて、アバンギャルド、アングラの時代という共通項も。そうした時代環境の上で、植草甚一という個性が輝いたのか。なるほど。昭和初期の一時期と戦後復興が終わった60〜70年代に突如、若者文化の教祖となったのも納得できる。時代がぐるっと回ったわけね。映画やジャズ、ミステリーの評論家というイメージが強かったのだが、書籍収集家であり、在野の学者みたいな人だったんだなあ。それと、コラージュこそ、植草甚一だったんだなあ。昭和初期の若い頃からコラージュをしていた人とは知らなかった。
 植草甚一が自分の先生としていたのは次の3人だったという。堀口大學飯島正村山知義。堀口、飯島は知っていたが、村山という人は、この本で初めて知った。なかなか変わった前衛芸術家のようで、この人の影響を植草甚一は濃厚に受けている様子。また、植草が早稲田大学中退というのも初めて知った。この本を読んでいると、小林信彦の「私説東京放浪記」や「日本橋バビロン」を読んでみたくなる。こちらは、東京という街の歴史を辿るために。