クレイグ・L・シモンズ「南北戦争」

南北戦争―49の作戦図で読む詳細戦記 (学研M文庫)

南北戦争―49の作戦図で読む詳細戦記 (学研M文庫)

 クレイグ・シモンズは、米国海軍兵学校アナポリス)の歴史学科長。副題に「49の作戦図で読む詳細戦記」とあるように、軍事史家の視点から、作戦図とともに南北戦争の歴史を語る。南北戦争の戦史として興味深く読めた。工業地帯の北部と農業地帯の南部という構図は、軍事面で見ると、工業力を背景に組織戦を進めようとする北軍と、騎士道精神で個人的能力で突破を図る南軍という差を生み出す。指揮官自ら先陣を切って突撃していく南軍の将官たちの死傷率がきわめて高かったことは後々、指導層の不足になって戦力低下をもたらしたとか、これまで知らなかった事実を知る。銃砲の火力が強力なってきた時期で、防衛側が塹壕をつくって防御態勢を整えると、攻撃側の死傷者数はとんでもない数字にある。南北激突して、1日で双方、1万人以上の死傷者が出る戦闘があり、塹壕戦になった戦争末期では、北軍も南軍も、攻撃側は防衛側の3倍以上の死傷者を出している(ゲティスバーグの死傷者は3日間で、北軍2万3000人、南軍2万8000人だったという)。
 南北戦争は、1861年から1865年まで続いたが、日露戦争第一次世界大戦など、正面攻撃による突撃で膨大な死傷者を出す近代戦の先駆けだったようだ。また、北軍のシャーマンは、南軍の補給網を断つために、南部占領地域の資源(食糧、綿花)などを奪取(略奪)、焼き払いながら、進軍する。総力戦時代の幕開けでもあった。軍事物資(工業製品)を外部に依存する南部の補給源を断つことは戦争初期からの工業力に勝る北軍の当初からの戦略で、南部の主要貿易港を海軍によって抑え、海上封鎖を進めていく。工業力が戦争を左右し、精神主義による奮闘も4年しか持たない。そういえば、太平洋戦争も1941年から45年。南軍と同じく、4年しか持たなかったな、と思う。これは偶然の一致か。
 南北戦争は映画にもなっているが、「コールド・マウンテン」の冒頭に出てくる、巨大地雷を仕掛けた北軍の攻撃は1984年7月のピーターズバーグ攻防戦のときの話で、このときの北軍の死傷者は4000人だという。戦争末期、南軍は敗色濃厚で組織管理も混乱しており、軍も死傷者の実態を把握できることもできなくなっていたとう。
 文中に注記された番号と作戦図内の番号を合わせて読んでいくのだが、この図内の番号がわりにくく、このあたりはレイアウトで、もう一工夫欲しかった。