奥田英朗「サウスバウンド」

サウス・バウンド

サウス・バウンド

 奥田英朗の長編。主人公の両親は元・過激派というのだが、読んでいて奥田英朗全共闘世代ではないのかと思った。経歴を見ると、1959年生まれ。70年安保の時はまだ小学生か。何か違うと思ったのだが、やはりなあ、世代が違うんじゃないかと思っていた。全共闘世代の人と話していると、大学の時の友達が消息不明になっているとか、内ゲバで植物人間になったとか、あいつは裏切ったとか、裏切らなかったとか、そうした生々しい話や独特の語り口があるのだが、そうした肌触りがない。あくまで小説のキャラクターの設定としての全共闘世代であり、エピソードとしての内ゲバという感じがする。そのせいか、同じ話を聞くんでも、どうもリアリティの点で、しっくり来ない。1953年生まれ(70年安保のときに高校生)の高村薫が書いているもののほうが生々しさがある。世代差だなあ。
 結局、奥田英朗トリックスターが好きなのだろうか。主人公の父親など、過激派の残党というよりも、かなりの勘違い・嫌みオヤジだと思うのだが、むしろ、こうしたトンデモナサ、非常識を奥田氏は愛しているのかも。でも、キャラクターとして全共闘なり、過激派を扱うのはなあ。最初からコメディならば、まだわかるけど、それでシリアスさを演出しようとすると、何となくあざといというか何というか。深みも何もないから。仲間を殺すという世界にはまりこんでしまう狂気も。
 ただ、それでも読んでしまうところはストーリーテリングのうまさなのかも知れない。奥田という人は、ゲームのようにストーリーを組み立てる人なのだろう。キャラクター小説といってもいいのかもしれない。ただ、キャラクターがリアルな世界と言うよりも、テレビ的な世界の類型で成り立っているからか、小中学生の描き方にしても、西表島ユートピアとして描くのも、ステレオタイプともいえる。ストーリーテラーではあるんだけど、人間を深く考える人ではないのかも知れない。