巴里憧憬−−エコール・ド・パリと日本の画家たち

 埼玉県立近代美術館に「巴里憧憬ーーエコール・ド・パリと日本の画家たち」を見に行く。1920年代のパリには、世界中から芸術家が集まったわけだが、この時代に日本人画家もパリに蝟集していた。藤田嗣治だけじゃない。有名無名(といっても僕が知らないだけの人も多いけど)野心を持った画家たちがパリに集まった。その作品を集めた企画展。謳い文句は以下の通り。

エコール・ド・パリの寵児となった藤田嗣治。藤田同様の成功を夢見てパリ画壇で活躍した海老原喜之助ら。パリで日本画を描いて人気を呼んだ蕗谷虹児ら。“画家たる者、一度はパリへ”と遊学した日本画家の土田麦僊ら。また、留学の成果をいち早く日本に伝え、日本の近代洋画の展開に大きな影響を与えた里見勝蔵や佐伯祐三らもいます。さらに、パリの喧噪から遠く離れたフランスの寒村で静かに制作をしていた斎藤豊作。彼のもとには、長谷川 潔、岡鹿之助ら個性的な画家たちが集い、豊かな時を過ごしていました。これら様々な展開をみせた日本人画家たちの作品群をとおして、パリに集い、パリに生きた彼らの情熱と苦悩の一端をご紹介します。

 これは企画の勝利といえる。同じ時代にパリに生きた日本人の画家、その目標となった画家たちの作品が集めると、そこには一つの世界、一つの時代が浮かび上がる。絵画などの作品もさることながら、一人ひとりのプロフィールが鑑賞の対象となる。人生そのものも作品となる。パリに生きて成功する人、パリに挫折する人、病に倒れる人、日本に帰って成功する人ーーまさに人生いろいろ。パリでは異国情緒の日本画が受けるというので、食べるために日本画を描いた人も多かったという。パリで描かれた日本画の中には「生活のため」という臭いがして、どこか切ない。洋画を学びにパリまで来て、日本画を描いている自分を考えたとき・・・、やっぱり切ないよなあ、これは。絵画だけではなくて、ノート、スクラップブック、手紙なども展示されているのも時代の空気に触れさせてくれる。1920年代の日本はこれだけの日本人をパリに送っていた。遠くヨーロッパを戦場とした第一次大戦で戦争景気となって儲けた日本は、豊かだったんだなあ。ともあれ、なかなか良い企画展だった。
埼玉県立近代美術館
 http://www.momas.jp/1.htm
・企画展ページ
 http://www.momas.jp/3.htm
・休憩したレストラン「ペペロネ」
 http://www.momas.jp/010rest/10.htm