網野善彦「日本の歴史をよみなおす(全)」

日本の歴史をよみなおす (全) (ちくま学芸文庫)

日本の歴史をよみなおす (全) (ちくま学芸文庫)

 (全)とあるのは「日本の歴史をよみなおす」の正続編が文庫になって1冊にまとめられたから。それはさておき、刺激的で面白い本だった。自分たちが知っている日本の歴史は本当は違うのかもしれない。百姓は農民を差すわけではないし、海から日本を見たとき、日本の風景も歴史も変わる。そして歴史を知ることは今を知ることだと改めて思う。差別の構造がどのように生まれたのか。その一方で、差別される者と高貴な者が底流で分かちがたく結びつく日本の構造。「日本」という国が成立して以来、農本主義重商主義の対立は続き、今もその構造は変わっていない。日本を支配する官は農本主義的で商業を嫌う。荘園時代のコメ本位制は抜きがたく日本人に農本主義の思想を埋め込んでしまったのかなあ。官の親農反商思想は今も変わらない気がするし、日本の官僚たちのDNAに組み込まれてしまっているように見える。
 この本には、こんな一節がある。

銭、貨幣の魔力にとりつかれ、利潤や利子を追求する商人や金融業者、交通路である山や河海にかかわりつつ、狩猟や漁撈のような殺生を好み、博打に打ち込むような人たちは、田畠を基本と考える農本主義的な政治路線に立つ人たちにとっては、まさしく「悪」そのものだったのです。

 「商人」をベンチャー経営者、「金融業者」をファンド、「交通路」をインターネットなどと読み替えていくと、規制強化に動く現代の政権、行政と共通しているよなあ。心情的には変わらない。

十三世紀後半から十四世紀にかけての、鎌倉幕府の悪党にたいするきびしい弾圧は、公権力からはずれた商人や流通・金融業者のネットワークをいかにしておさえるかにあったのですが、逆に、幕府の内部には、むしろこうした金融業者や商人の組織、流通の組織を積極的に支配のなかに取りこんでいこうとする、もうひとつの政治路線がありました。

 これも21世紀の日本に通じた風景だなあ。

 日本列島の社会は当初から交易を行うことによってはじめて成り立ちうる社会だった。厳密に考えれば「自給自足」の社会など、最初から考えがたいといってよいと私は思います。

 海を山を自由に駆け、交易によって生きた日本をもっとしるべきなんだろうなあ。事実を検証しながら、歴史や社会を考えていかなくちゃいけないんだと改めて思った。