鹿島茂「情念戦争」

情念戦争

情念戦争

 フランス革命からナポレオンの台頭、そしてワーテルローの戦いとナポレオンの没落。それを「熱狂情念」のナポレオン(皇帝)、「移り気情念」のタレーラン外務大臣)、「陰謀情念」のフーシェ(警察大臣)の3人を主人公に描く。これは面白かった。柴田三千雄氏の『フランス革命 (岩波現代文庫)』は社会学的にフランス革命をとらえていたが、フランス文学者の描くフランス革命とナポレオンの物語は、人と文化から説き起こす。フランス革命前のロココ時代の退廃、快楽主義というのは想像を絶している。また、その後の政治においても女性の役割が大きい。A公爵夫人と言いながら、B公爵なりC王の愛人だったりして、それがDとの話を取り次いだり、世論を形成したり、下半身から見ていかないと分からない政治もあるんだなあ。というか、この文化を理解しないと、歴史もわからないかもしれない。また、必ずしも清廉であることが平和や繁栄をもたらすわけではなく、正義の人が恐怖政治をもたらし、動機不純で金銭的にも問題ありな人が善政をもたらしたりする。「フランス革命」と「情念戦争」は全く肌合いの違う本だが、2冊を合わせ読むことで、より鮮明に時代が見えてくる。
 で、面白かった部分をいくつか。まずは、「悪の殿堂」といわれた、フランス革命当時、パリ最大の盛り場だったパレ・ロワイヤルが誕生した理由

 代々のオルレアン公の居城が突如回廊式の商店街に変貌したのは1784年のこと。累積する借金に苦しんだ五代目当主ルイ=フィリップ・ドルレアン(フィリップ平等公)が、1780年にいたって、自分の住んでいるパレ・ロワイヤルの庭園を、なんとショッピング・センターに変えてテナント料を徴収しようと考えたのである。

 この成功が近代商店街、いまのショッピング・モールの先駆けといえる。やはり、欲望が新しいビジネスを創るんだなあ。

 頭のいい人間の欠点は、頭は悪いが意思堅固な人間に出会うと、すぐに戦いを放棄して、匙を投げてしまうところである。反対しても、バカは聞き入れないとわかると、どうにでもなれという気持ちになって、結局は、妥協するのである。

 タレーランについて書いた文章だが、これって当たっているなあ。日本の帝国海軍と帝国陸軍の関係もこれに似ていたかも。
 で次は、ツヴァイクツワイク)の『ジョゼフ・フーシェ―ある政治的人間の肖像 (岩波文庫 赤 437-4)』からの引用ではあるのだが、

 「およそ専制君主なるものは、自分の欠点や失策を注意してくれた人に、感謝するものではない。(中略)王者は、自分が弱みを見せた瞬間を目撃した人を愛さないし、専制的な性格の人は、たった一度でも、自分たちより賢いことを示した顧問役を愛さないものだ」

 フーシェとナポレオンの関係についてだが、これも古今東西、組織の真実かもなあ。