鳥居民『近衛文麿「黙」して死す』

近衛文麿「黙」して死す―すりかえられた戦争責任

近衛文麿「黙」して死す―すりかえられた戦争責任

 近衛文麿はなぜ自殺したのか? 近衛は何を守ろうとしたのか? 太平洋戦争の開戦の責任は誰にあるのか? 木戸幸一近衛文麿の対立とは? 東条内閣を誕生させた木戸内大臣の責任は? 木戸、都留重人ハーバート・ノーマンをつなぐものは何か?ーーなどなど、ともかく面白い。ただ、面白いのだが、近衛や木戸の心の中にまで入って代弁する、読んでいて、これが歴史的事実にもとづく記述なのか、推論なのか、それとも著者の空想的創作なのかがわからなくなる。資料なり、取材なりで、論証されているものか、状況証拠による論告なのか? 状況証拠だけで物証はなくても、著者の論述は説得力はあり、面白いが。
 で、結論としては、開戦責任は、日米交渉を中国からの撤兵で打開しようとして陸軍の壁に破れた近衛にあるのではなく、内大臣として、なすべきことをなさず、昭和16年10月に、近衛ではなく、東条を選んだ木戸にあるという。そして戦後は、天皇退位をも視野に入れた近衛と、昭和天皇を守ろうとする木戸と対立が続く。しかし、ふたりに対立はあったとしても、その背後で戦争への流れをつくっていくのは、陸軍内部の派閥抗争(それは皇道派に近い近衛と統制派に近い木戸の対立にもつながる)であったり、陸軍と海軍の省益争い(ありていにいえば、予算獲得競争と権限争い)であったりする。何だか哀しい話ではある。226事件を制圧した木戸は陸軍の統制派に近かった。それが昭和16年の運命の年の首相に東条を選択させたといわれると、なるほどと思う。少しずつ少しずつ狂って、抜き差しならないところに追い詰められていくんだなあ。日本って哀しいなあ。
 でも、組織があれば、派閥抗争はつきもので、これは日本だけの話ではなさそう。米国は米国で日本占領をめぐって右派と左派の戦いがあり、それがみんなの運命を狂わせていく。その流れ次第では、自殺していたのは木戸だったのかもしれない。しかし、この本を読んで、ハーバート・ノーマンに対する印象が変わってしまった。本当はどんな思想を持った人間だったのか、ノーマンの本もきちんと読んでみてみるか。