澤地久枝「石川節子ーー愛の永遠を信じたく候」

石川節子―愛の永遠を信じたく候 (文春文庫)

石川節子―愛の永遠を信じたく候 (文春文庫)

 石川啄木の妻、石川節子の伝記。石川啄木の人生は凄絶。世間に認められない鬱屈のためか、自滅的ともいえる行動の結果、人生の分岐点で、運命の目は悪い方へ悪い方へと出ていく。函館の新聞社に職を得、安定した生活の一歩手前のところで大火にあい、その小さな夢も消えてしまう。節子と姑の関係も微妙というか、最悪で、それが石川啄木の人生にも影を落とす。啄木の残した短歌は好きだけど、現実の啄木は相当、付き合いづらい人だったようにも思える。啄木も自滅的だったが、父親の一禎も破滅的というか、生活力のない人だったようで、住職の座を追われ、それが貧困の要因になっている。啄木は、若くして天才といわれ、プライドの高い人だったのだろうなあ。節子は、どん底の中にあっても、そんな夫の才能を信じ、健気に仕えるのだが、貧困、夫の放埒、姑との関係の末に、強い女になっていく。一時は実家に戻ってしまい、啄木を狼狽させもする。母親と愛妻は、啄木の支えであると同時に、重荷だったんだなあ。それが芸術の起爆剤だったのかもしれないけど。
 もう一つ、この本を読んでいて、意外だったのは、啄木は世に認められていなかったといっても、それは全く無視されていたというわけでもないこと。森鴎外の支援も受けていたし、死んだときは東京朝日新聞の社員で、葬儀には、夏目漱石、木下杢太郎、北原白秋佐佐木信綱が参列している。朝日にしても、小樽日報にしても、啄木は必ずしもチャンスに恵まれていなかったわけではないが、収入は一家を支えるには足りなかった。もし父親が住職の座を追われず、家族の生計を支える義務がなかったら、もし盛岡中学校を退学していなかったら、もし若くして結婚していなかったら(節子との結婚式の予定の日に啄木は帰らなかった)・・・。啄木の人生は、もっと安定したものになっていたかもしれない。でも、そうしたとき、啄木の芸術が生まれていたかどうかはわからない。難しいもんだなあ。