山形浩生「コンピュータのきもち」

新教養としてのパソコン入門 コンピュータのきもち

新教養としてのパソコン入門 コンピュータのきもち

 山形浩生による「新教養としてのパソコン入門」。パソコンの使い方というより、構造やら仕組みやらの基礎を知る本。どこも山形節で楽しいだが、特に「Unix系の人はなぜいばっているのか」「コンピュータのネットワークは、貧乏くさいのである」が面白かった。で、最後の番外編「著作権を尊重しすぎるのは、本来の趣旨に反することなのだ」が今になっても、というか、今になると、重みを持つ(この本の出版は2002年)。最近のGoogle Book Searchをめぐる問題とかを考える手がかりにもなるんだが、こんな具合。

 何でも自由に配布していいことにすると、作るほうの人が苦労して新しい知的な財産を作らなくなるだろう、という心配がある。見返りがなければだれも新しい発明や、新しい小説や、新しい音楽や映画を作らないだろう。それでは困るので、一時的に限られた独占権を認めることで、発明家や開発者やアーティストたちにいろんなものをどんどん作ってもらおう。そのための独占権が、著作権というものだ。
 だからそれは、完全な独占権を認めるものじゃない。一時的、部分的な独占を認めるもので、いずれ自由にそれは流通させてもらうよ、というのが基本的な前提となっている。そしてその権利の範囲も、無制限じゃない。それは開発者たちや作者たちが、次の作品を作り出すだけのやる気が出る程度に認めるべきものだ。それ以上著作権の範囲を拡げることは、そもそも自由に流通して万人に使ってもらうべき人類全体の財産、という知的財産の根本的な性質を妨げるものだ、ということだ。新しいものが生み出される程度に、ほどほどに認めればいいし、それだって一時的なものすぎない。

 これなんか、山形浩生が翻訳した「人でなしの経済理論」のフェアユース論に通じるものがあるなあ。インターネットのWWW自体、知的財産の共有を目的に生まれたものだしなあ。でも、「YAMAGATA Hiroo Official Japanese Page」の著書リストを見ると、2007年に、この本が新書化されたときには「著作権」の部分は削除したという。う〜ん。これは一つの考え方ではあるんだけど、やっぱり、ここは出版社から見れば、刺激的過ぎたのかもなあ。
YAMAGATA Hiroo Official Japanese Page 著訳書リスト
 http://cruel.org/books/books.html