梅田望夫「シリコンバレーから将棋を観る」

シリコンバレーから将棋を観る―羽生善治と現代

シリコンバレーから将棋を観る―羽生善治と現代

 将棋はやらないし、棋譜を読んだりもしない。でも、テレビで羽生善治渡辺明のドキュメンタリーやインタビューをやっていたりすると必ずといっていいほど見てしまうし、大崎善生の「聖の青春」や「将棋の子」には涙してしまう。で、その将棋の世界を梅田望夫が書くというので、興味を持って読んだ。これが面白かった。ブログでも将棋の話はサンフランシスコ・ジャイアンツの話と並んで多かったし、ウェブで観戦記を書いたりもしていたから、梅田氏の将棋への傾倒ぶりは知っていたが、サバティカル入り後、最初の本のテーマが将棋とは思わなかった。でも、読んでいると、なぜ将棋の話を書いたのかはわかる気がした。もちろん、将棋が好きということは第一の要因だろうが、それとともに、インターネット以後というか、グーグル以後というか、将棋が21世紀的な「知の実験場」だからだ。オープン化し、情報と知識が共有がなされた上での競争とは何か、優位性とは何か、というケーススタディの現場になっているからだ。

 「ITとネットの進化によって将棋の世界に起きた最大の変化は、将棋が強くなるための高速道路が敷かれたということです。でも高速道路を走り抜けた先では大渋滞が起きています。

 というのは、梅田氏が紹介した羽生名人の有名な言葉だが、確かに、この本を読んでいると、将棋ほど情報や知識がオープン化されたうえで競争が演じられている世界はないなあ。将棋の戦略・戦術は羽生世代以後、急速に進化したという。このあたりは、山形浩生氏が「コンピュータのきもち」で書いていた著作権論をちょっと思い出してしまう。オープンが革命を生む土壌になる。Linuxに代表されるオープンソースの進化、その技術的進化の上に登場したクラウド・コンピューティングなどなど。急速に進化し、しかも、その進化した環境で誕生した新たな知識がすぐに流通し、共有されてしまい、さらに進化を求められる、そんな世界で生きていくというのは、どんなことなのか。で、最後を締めくくる羽生氏と梅田氏の対談で、こんな話が出てくる。

梅田 これは、羽生さんの五年前くらいのインタビューですが。「深さのある将棋とは?」という問いに対して、「研究もたくさんして、すごくたくさん考えて、でも全く想像していなかった場面が出てくる、そういう感じです。予想できることはできる限り予想するんですけど、結果として予想し得なかった状況が起こるような将棋」(『週刊将棋』03年7月16日号)・・・そういうものを指したい、とおっしゃっている。

 なるほどなあ。これは現代の経営論、テクノロジー論、マーケティング論にも通じてくる。データを調べて調べて、考えて考えた末に、予想できないものを生み出す。それが創造であり、先行することなんだなあ。えらい大変だけど。でも、だから機械ではなくて、人間ではないとできないのかもしれない。

 羽生 どんなジャンルでも、ちょっと前までは「けものみち」だったところが、情報や人力や時間、手間を加速度的にかけることによって・・・。
 梅田 そうか、(高速道路とまではいかずとも)どんどん舗装された道になっている。
 羽生 はい。あっという間に舗装されて、もう地球上で残っているものは未開のジャングルだけ・・・・・・といっても、人間が足を踏み入れていない場所は、実質ほとんどないですよね。地理的に言う地球上と同じく、もう少し概念的に、どんな分野においても、そうだと思うのです。これから先、ものすごく可能性がある、広がりがあるという世界は少なくなっている気がするんですよね」

 これこそが閉塞感なのかもしれない。だから、ワイルドさが必要と羽生氏が言うのも面白い。

 羽生 最近印象的だったのは、白石康次郎さんという、ヨットで世界一周している方の話です。といっても、今の冒険家は、ちゃんとGPSを使うんですよ。でもね、これが面白いんですけど、どうやってヨットを進める方角を決めるかというと、朝、出るんですって、甲板に。それで、今日は自分のカンがいい日だな、と思うと、GPSを使わずに行くらしいんです。そうでない日は、あとはもうずっとラップトップパソコンの画面を見て、地味に、地道に、航路を計算しているんですって(笑)。ワイルドな、野性味あふれる世界で、それだけで生きていける、乗り切っていけるものを日々試し、探している人たちが、これからの時代、我々にいろんなことを教えてくれるというか、学ぶことが大きいのではないかな、と。

 なるほどねえ。ともあれ、この本、将棋の面白さ、深さ、そして羽生世代のベンチャー精神と渡辺竜王の孤独を教えてくれる本であると同時に、ウェブ時代の生き方、知性のあり方、競争のあり方を考察する本だった。で、後者の視点で見ると、これは梅田氏の著作の中で「ウェブ進化論」「ウェブ時代をゆく」に真っ直ぐと連なっていく本だと思った。