エマニュエル・トッド「帝国以後」

帝国以後 〔アメリカ・システムの崩壊〕

帝国以後 〔アメリカ・システムの崩壊〕

 NHKのインタビュー番組で見て、エマニュエル・トッドに興味を持ち、読んだのだが、これは極めて刺激的な本だった。識字化と出生率、異人種間の結婚率、相続などに見える家族構造など人類学的手法で世界を概観するという手法は斬新であり、かつ、そこから世界の実相が見えてくる。米国に対する見方も、ロシアに対する見方も「常識」とは違ってくる。トッドが、この本で展開しようとしているのは、以下のようなモデルである。

 世界が民主主義を発見し、政治的にはアメリカなしでやって行くすべを学びつつあるまさにその時、アメリカの方は、その民主主義的性格を失おうとしており、己が経済的には世界なしではやって行けないことを発見しつつある、ということである。/世界はしたがって、二重の逆転に直面している。先ず世界とアメリカ合衆国の間の経済的依存関係の逆転、そして民主主義の推進力が今後はユーラシアではプラス方向に向かい、アメリカではマイナス方向に向かうという逆転である。

 米国は、ネーションか、帝国かの岐路に立ち、ソ連の崩壊とともに、帝国への道を歩み出したという。しかし、帝国になりきれない帝国になってしまっている。第2次大戦後は、生産力でも、資金力でも圧倒的というか、唯一無二の存在だったが、いまや消費し、借金する国になってしまっている。それが経済的に自立できない国、米国という姿になる。
 帝国のモデルというと、ローマだが、トッドは、もう一つ、アテネというモデルがあるという。で、いまの米国はむしろアテネ・モデルではないか、ともいう。ギリシャ都市国家群はアテネの軍事力に依存し、アテネに資金を拠出して軍事的義務を免れるのだが、アテネが軍事資金を私用し始め、最後は、都市国家群はスパルタに乗り換えてしまい、アテネはスパルタに敗れる。米国の軍事力に依存し、カネを払う。日本やドイツと同じではないか、という。いずれロシアがスパルタになってしまうのかどうかは、わからない。
 人類学的分析では、乳幼児死亡率の重視がある。

 乳幼児死亡率というのは、社会ないし社会内の個別的一セクターの中で最も弱い個人の現実の状況を明らかにするものであるがゆえに、決定的な指標なのである。

 トッドは、乳幼児死亡率のデータをもとに、1976年にソ連の国内情勢の悪化をみたという。で、今は米国の黒人の乳幼児死亡率の増加から、人種統合の失敗を見る。一方で、人種間の結婚をみていくと、米国ではアングロサクソンユダヤ人との統合がみられるという。そこから、米国の政治状況を読む。

 アメリカ社会の中心部にユダヤ人に統合するということは、アメリカの戦略的選択に関心を抱く者にとっては、特別の重要性を呈している。というのもそれは、アメリカの世界への関わり方の中でかくも明白であり、中東紛争の管理の中でかくも顕著になっている。外部に対する普遍主義の後退と共鳴しているからである。イスラエルをアメリカの心性システムの中に組み入れることは、内部的にも外部に対しても進行しつつあるのであり、外でのアラブ人の排除は内での黒人やメキシコ人の排除に呼応するのである。

 米国とイスラエルの関係を、こうした視点から見る考え方もあるのか。で、こんな厳しい表現も出てくる。

 自分の行いが正しくないと感じている時は、自分を二重に正当化してくれるものがさらに必要になるものだ、とさえ言うことができそうである。アメリカのイスラエルに対するさらに強められた新たな執着の正体を突き止めるには、まさにこのような言葉遣いをする必要がある。アメリカ自身の行いが正しくない時に、イスラエルも正しくない行いをしているがゆえに、パレスチナ人に対するイスラエルのが行動がますます凶暴になるのを、アメリカは是認するのである。

 辛辣だなあ。イスラエルのガザ侵攻に対する米国の態度を思い出してしまったりもするが。
 ヨーロッパから見ると、米国人はナイーブで、歴史的素養に欠けるように見えるらしい。「文明の対決」を論じたハンチントンにしても、西欧文明対イスラム文明という見方にトッドは反論し、キリスト教世界でも、カソリックプロテスタントの戦いがどれだけ血塗られたものだったかと言う。なるほどなあ。で、トッドは読者にこうアドバイスする。

 先ず第一に、世界をあるがままに見るすべを身に付け、イデオロギーの、その時々の幻想の影響、メディアによって養われる「恒常的な偽の警報」(これはニーチェの言葉だ)の支配を脱すること。現実の力関係を感知するというのは、それだけでも大したことである。いずれにせよ意に反する結果になるような行動をしない可能性を確保することが出来る。アメリカは超大国ではない。現段階では弱小国にしか脅しをかけららないのである。現実にグローバルな対決について言えば、アメリカはヨーロッパとロシアと日本の協調という危険に曝されている。この三者には、理論的にはアメリカの首を絞める可能性もあるのだ。アメリカの方は、現在の運行状態と速度で日に一二億ドルという消費水準を維持するには外から援助金を貰う必要があるのだから、己の経済活動だけでは生きて行けないのである。もしアメリカがあまりにも不安をまき散らすようなら、そちらの方こそ経済封鎖を恐れなければならない。

 米国が現在の借金漬け経済を脱却するのは大変なことだと思うのだが、トッドはこう言い放つ。

 アメリカの住民の生活水準の一五%から二〇%の低下を帰結することになるだろう。(中略)このような調整の見通しはいささかも人々を恐怖に陥れる類のものではない。この程度の生活水準の低下は、共産主義から脱却した時にロシア人が経験したそれ(五〇%以上の下落)に比べればものの数ではない。

 う〜ん。GMは破産法申請、国有化によって、規模を3割縮小して再建すると言うが、トッドの話と重なってくるなあ。対米輸出依存度の高い日本もそれなりの調整を受けることになるんだろうなあ。ロシアの人々の苦難を思えば、「ものの数ではない」といわれてしまうのか。ともあれ・・・

 アメリカ合衆国は自分の生産だけでは生きていけなくなっていたのである。教育的・人口学的・民主主義的安定化の進行によって、世界がアメリカなしで生きられることを発見しつつあるその時に、アメリカは世界なしでは生きられないことに気付きつつある。

 ヨーロッパは、ドイツ、フランス、ロシアを中心にユーラシアとして生きていくことをトッドは構想している。ロシアについては好意的に見ている。現在の混乱、暴力も、民主化へ脱皮する中での過渡期的現象とみている。まあ、欧米にしても、何事もなく現在の段階に到達したわけではないから。
 教育に関する見方も面白く、識字率を高める初等教育の普及は民主主義を社会に浸透させるが、識字率が行き渡り、高等教育が広がると、今度は別の反動が発生するという。つまり・・・

 中等教育、ならびに高等教育は、先進国社会の心的・イデオロギー的組織構造の中に再び不平等の概念を導入する。「高等教育を受けた者」は、偽りの良心でしばらくためらったのち、やがては自分が本当に高等な人間だと思うようになる。先進国には新たな階級が出現する。その階級は、単純化して言うなら、人口の上では二〇%を占め、所有する通過では五〇%を占める。そして次第に普通選挙の拘束が耐えられなくなって行くのである。

 これも日本を含め、先進国で起こっている現象だと思う。
 ともあれ、刺激的な本だった。トッドの本を系統的に読んでみようかと思ってしまった。石崎晴己氏の翻訳も読みやすい。