ビル・エモット「アジア三国志」

アジア三国志

アジア三国志

 日本のバブル崩壊を予言した「日はまた沈む」を書いた前エコノミスト編集長、ビル・エモットが描く日本、中国、インドのアジア三強の物語。アジアの大国は、経済では巨大化しながら、政治的、社会的には、まだ大人になっていない部分がある。欧州も血で血を洗う戦争を繰り広げた末に平和的共存の枯れた関係に落ち着いたわけだが、アジアは歴史こそ古いものの、そうした関係を構築するには至っていない。過去の歴史では、いずれかの国が支配的位置を占めようとしたわけで、共存的・共生的関係には至っていなかった。日本にしても、まだ成熟しているとは言えない部分を残す。歴史認識問題は特に中国、韓国など周辺諸国との軋轢を生み出している。
 というわけで・・・

 アジアは、一九世紀のヨーロッパにも似て、抜きん出たリーダーがないままに、勢力の拮抗という政治ゲームの闘技場になりつつある。三カ国のなかでは中国がもっとも強大になるかもしれないが、一九世紀のイギリスがそうであったように、大陸を支配するだけの力はないだろう。

ーーとなる。アジアでは、パワーゲームが展開されており、2007年、ミャンマー仏教徒弾圧に中国、インドが沈黙を守ったのは、両国とも隣国であるミャンマーが相手の影響下に入ることを恐れたからだという。なるほど。
 面白いデータもある。中国、インドが世界経済の中心メンバーになってきたといわれながら、世界のGDPに占めるアジア諸国のシェアは2006年で22.3%。しかし、1820年には中国とインドで世界の生産の半分を占めていたという。アジアはまだまだ伸びる余地があるということなんだろう。
 あと、面白かったところは、

 中国の貯蓄の特質は重要な意味を持っている。日本、韓国、台湾でも、急な経済発展の最中は貯蓄が高レベルだったが、がっぽりと金を貯め込んでいたのはいずれも家庭だった。ここ数年のインドにも同じことがいえる。中国では、家庭の貯蓄は裕福な米欧の経済よりも高レベルだが、最近は企業の貯蓄が大きな割合を占めるようになっている。(中略)中国の投資は、企業が稼いだ金や銀行融資による投資が大部分を占めている。IMFのスティーブ・バーネットとレイ・ブルックスは、利益剰余金が投資の半分以上の原資であり、銀行融資(個人ローンも含む)が四分の一程度であると算定している。

 企業が金を持つと、成長に加速はつくが、ある段階に来ると、投機に走り、社会を不安定にしていく面もありそうな気がする。企業としてのカネは所詮、他人のカネで、責任、倫理が欠けると、放埒な投資になっていく。日本の経験だけど、バブルを生みやすくなっていくんじゃないだろうか。そこを、どうコントロールしていくか、これからが難しいのかも。

 いまや中国共産党の統治の正統性は、イデオロギーではなく経済成長にかかっているというのが、一般的な見かたである。また、中国では、経済的困窮や変化の時期には、社会と政治の安定が脅かされることも、常識とされている。

 これはそうだろうな。だから、中国政府もケインズ的な有効需要拡大のための公共投資を必死で打っているわけで・・・。一方、日本に対する見方は。

 不思議なことに、日本を全体として見ると、あまりグローバルな国ではない。二〇〇六年の貿易(輸出入の合計)がGDP比のわずか二八%というのは、島国の経済にしては意外な数字である。アメリカの二二%よりは多いが、中国の六七%よりもはるかに低い。グローバリゼーションの象徴とされる英語は、日本のすべての学校で教えられている。だが、学校でフランス語を何年も習っているはずのイギリス人がフランス語でしゃべれないのとおなじように、英語に自信のある日本人はごく少数しかいない。

 最近の自動車、電機の業績崩壊にみられるように、優良企業の海外依存度は高いけど、全体で見れば、という話だろうか。だとすれば、日本経済にも救いがあるわけだけど。で、インドは・・・。

 世界銀行は「インドは他の国と比べて、所得の不公平がすくない社会である」としている。まさか。だが、よくよく数字を見ると、そのとおりなのだ。アンバニ兄弟のような超富裕層は、人口のほんの一部でしかない。国民全体の所得と消費パターンの分散は、きわめて狭い範囲にとどまっている。インドのジニ係数(所得分配の不平等の度合いを表す数値)は、イギリスとほとんど変わらず、アメリカよりもやや低い。中国よりはだいぶ低い。ジニ係数では、〇が完全な平等を示し、一係数に近いほど不平等度が高いことを示す。世界銀行の統計によれば、二〇〇四ー〇五年のインドのジニ係数は〇・三六八で、タイは〇・四二、シンガポールは〇・四二五、中国は〇・四六九、マレーシア〇・四九二だった。いっぽう、二〇〇〇年の日本は〇・三一四、イギリスは〇・三二六、アメリカは〇・三五七である。(中略)インドで不公平なのは、所得よりもむしろ保健衛生と識字能力だろう。特権はかならずしも金だけに基づいてはいないし、逆に、より高い教育を受けたからといって所得が増えるとは限らないことを、これが示している。

 ちょっと説明と数字が合わない気がするけど、いずれにせよ、意外なデータ。しかし、教育、医療のところが安定しないと。半面、そうした社会インフラが整備されれば、さらに進化、成長する可能性があると言うことか。

 インドについておおいに楽観的に語る人々は、インドはまもなく一段とよくなるだろうと考えている。そういった人々は、これから数十年のあいだにインドが急成長する理由として、目前に迫っている「人口割合」の分岐点を指摘する。中国は金持ちになる前に老いてしまうが、インドは比較的若いためにもっと金持ちになるーーと期待されている。これから数十年のあいだ、一〇代後半の若者がどっと流れ込んで、労働人口が急増する。いっぽう、養わなければならない子供は減り、支えなければならない老齢者もそう多くはない。

 人口構成的には、欧米、日本、ロシア、中国、すべて減少に向かっていく傾向がある。それに比べると、インドは人口と経済という関係で見れば、まだ伸びる余地があると言うことか。エマニュエル・トッド風にいえば、識字率の低さと表裏。識字化が進んでいけば、人口も抑制されていくのか。

 インドと中国を比べると、インドは英語を使える能力以外のあらゆる面で、中国に劣っている。インドの一人当たりの所得は中国の三分の一をすこし超える程度だという根本的な事実の前では、こういう比較は添え物でしかない。

 中国とインドの比較論も多いが、まあ経済データや医療・教育などの社会インフラというと、まだまだなわけね。
 成長にとって、環境が問題で、特に中国にとって環境問題は大きいといわれるが、70年代の日本も公害大国といわれた。早晩、日本と同じように環境規制に真剣に取り組んでいくことになるだろうというのが、エモットの見方。大連のように、地方政府の主導で、環境改善が進んでいるところもある。ただし、そう楽観してもいられないのは、中国には民主主義がなく、司法制度も独立していないことという。
 一方、アジアは欧州ほど枯れた関係になっていないだけに、戦争の懸念もまだ残っている。軍事的衝突の火種と懸念される危険地帯は、パキスタンチベット東シナ海(日本、中国、台湾)、北朝鮮。これに続くのが、ミャンマーパキスタンは核保有国でもあり、アフガニスタン戦争のカギを握る国でもあり、世界の火薬庫だなあ。
 最後に日本市場について。

 日本は過去の市場だと軽視している国際ビジネスは多い。かつては市場への参入が難しかったが、いまは努力に値しない市場だというわけだ。その見かたはおおむねまちがっているし、ことにサービス業やM&Aの分野ではそういい切れない。日本のGDPは依然としてアメリカに次いで世界第二位で、一〇年以上前に始動した市場重視の改革もつづいていて、加速している兆候も見られる。コスト上昇と老齢化社会を迎えて、政府も企業も、生活水準を維持し、利幅を保つために、生産性の向上に血眼になっている。そのため、生産性を急上昇させる方法を提供できるサービス企業のはいり込みやすい市場になり、いまだに非効率的なサービス分野での規制緩和が進む可能性が高い。そして、日本企業の資金が潤沢になれば、ふたたび整理統合やM&Aがさかんになるはずだ。

 いたずらな悲観主義には陥っていない。エモットは、アジアの未来については「まことしやかな悲観主義」と「見込みの高い楽観主義」、ふたつの姿があるという。どちらも可能性としてある。しかし、現実は、そのときどきの環境、条件が相互作用しながら、動態的に変化していくわけで、大切なのは、中国、インド、日本の事実をきちんと見ていくことなんだろうな。