谷口智彦「上海新風」

上海新風―路地裏から見た経済成長

上海新風―路地裏から見た経済成長

 ずいぶん前に買ったのだが、読まないまま、本棚に放ってあった。上海に旅したのをきっかけに、この本を思い出し、最初の方を読んでみると、市内観光で回ったロシア正教の教会(東正教堂)から文章が始まる。現地の風景も思い出されて、引き込まれ、一気に読んでしまった。今まで読まずにおかなかったのが惜しいほどの、なかなかの上海論であり、中国論だった。
 出版されたのは、2006年。筆者が上海にいたのは、2002年の暮れから03年の春までだから、上海は成長途上。その後も急速な進化を続けている。先日行った時も(上海万博直前ということもあり)、まだ工事中の場所が多かった。中国に対する視点も共感するものがある。中国を「電鉄経営」というのは当たっている。土地は国家のもので、市民はその使用権を売買すると、ガイドさんの話を聞いていて、国家が開発業者化しているのは不思議でもあり、興味深くもあった(追い出される人は大変だけど)。
 この本を読むと、筆者は人民元問題の研究をテーマに上海に渡ったらしい。人民元の切り上げ、変動相場制導入の可能性など、筆者の前作である「通貨燃ゆ」がテーマにしていた国際通貨問題に対する関心が出発点だったらしいのだが、実際に現地に行ってみると、中国の二重構造(都市・沿岸部と農村・内陸部)などから考えれば、そんな単純な図式では人民元について語ることができないことを実感したという。このあたり、いまの米中通貨論争にもつながってくる。なぜ、中国が人民元問題で米国に対して強硬なのか、見えてくるところもある。最近、中国のテレビニュースを見ていたら、人民元切り上げに対する反論として日本経済の凋落を例にしていたから、中国は(同じく二重構造の)日本を研究しているんだろうなあ。
 それはそれとして、帰国してからの部分で、こんな記述があった。

静かな街を、毎日毎日、人々がものもいわずに会社へ向かい、文句ひとつたれずに黙々と帰宅している。静謐という言葉がよく似合う、ちょっと堀辰雄的な、サナトリウム的印象さえ受けた。無論、上海の喧騒とのコントラストがもたらした誇大な印象にすぎないけれども、ああ、老いたなあという感じには強く来るものがあったことは確かである。

 この気持ち、わかる。上海から東京へ戻ってきたときの自分自身の気持ちと重なる。筆者がそう感じたのは2002年。2010年の東京は(日本は)さらに老いてしまった感じがする。最近の政治・経済の逆行ぶりを考えると、その老い方はどこか悲惨な感じもする。
 この本で上海の街を描く筆致はやさしい。最後まで読んで、上海が筆者のお父さんが青春を過ごした街であることがわかる。なるほど、それが行間に出ていたのか。
 ともあれ、上質な上海論であり、上海から眺めた中国論だった。