フランソワーズ・サガン「愛という名の孤独」

愛という名の孤独 (新潮文庫)

愛という名の孤独 (新潮文庫)

 フランソワーズ・サガンが取材を受けた様々なインタビューからテーマごとに再構成してインタビュー形式でまとめたサガン語録。最近、テレビでサガンの映画をやっているのを見て何となく興味を持ち、読み始める。早くから成功し、マスコミに追われ、最後はボロボロになってしまった人という印象があったのだが、そうしたサガン伝説に始まり、オカネ、執筆、サルトルミッテランとの交流、そして老い、死に至るまで、さまざまな発言が興味深かった。
 で、いくつか抜き書きすると、金持ちについて

 たとえ大変なお金を手に入れても、ある程度冷酷にならないとお金持ちではいられないと私は思っています。私の知っている大金持ちは皆、ある時には人にお金を貸したり、あげたりするのを断らざるを得ませんでした。富とは断るということに結びつきます。ですから、お金持ちは多少とも信用のおけない人間なのです。

 で、賭博がなぜ好きか。

 賭博に私が惹かれるのは、参加者が意地悪でもなく、ケチでもないからです。ですからお金は本来の正しい役割を果たします。お金は流通します。ふだんは厳粛で、神聖化されてしまっていますが、そういうところがなくなるのです。

 出版社は文学を支えているか

 出版界で本当に読んでいる人、本当に文学が好きで、その能力に値するポストに就いている人はごく僅かです。その代わり、無知のくせにきわめて重要なポストに就いている人が大勢います。私の場合、才能もお金もある発行者たちとデビュー出来たのは幸せでした。現在は、デビューしたばかりなのに処女作があまり売れていない作家たちに対する支援が足りません。彼らには成長する期間を与えなくてはならないのに。

 知性とは

 残念ながら皆には手の届かない贅沢です。結局のところ、想像が唯一の基本的な美徳ではないかと思います。想像力があれば人の身になれる、ということは相手が理解できる、したがって相手を尊重できるわけです。知性とはまず、ラテン語の意味での「理解する」、ということです。人を踏みにじるような人間の底に、実は優しい、傷ついた心が潜んでいるなんて言わないでください。人間はその人の行動以外の何物でもありません。

 愛とは

 他人は一瞬一瞬を、一分一分を共有してくれます。愛と呼ばれているものは、まずは自分を語りたいという欲求であり、自分が存在していること、しかも魅力的に存在していることを他人の視線の中に認めたいという欲求なのです。だからこそ、大変頭の良い男性とバカな女との、あるいは逆に素晴らしい女性とちょっと愚かな男との間の、第三者には理解しがたい大恋愛も説明出来るのだと思います。(中略)愛とは、あなたにどんなことが起ころうとも、相手に「あっ、このことを話してあげよう」とか、「一緒に連れてくればよかった」と思えることです。

 幸せな愛とは

 幸せな愛とは、仕事をして疲れ、へとへとになったり、やりきれない一日だ、と思って帰宅した時、その1日を話したくなるような何とも言えないまなざしに出迎えられることです。すると、話しているうちにその一日は面白いものになっていきます。それは相手が、ロマネスクで興味深いをあなたを、あるいは輝いたあなたを映し出してくれるから、平凡な一日も話している過程で本当に興味深いものになっていくからです。

 含蓄あるなあ。