内田樹「街場のメディア論」

街場のメディア論 (光文社新書)

街場のメディア論 (光文社新書)

 内田樹がテレビ、新聞、出版の危機について語る。ビジネスやインターネット(著作権)という視点ではなく、コミュニケーションと贈与経済から切っているところが斬新であり、そして、それがかえって現在のメディアが直面している危機の本質を突くことになる。
 内容はこんな感じ。

 第1講 キャリアは他人のためのもの
 第2講 マスメディアの嘘と演技
 第3講 メディアと「クレイマー」
 第4講 「正義」の暴走
 第5講 メディアと「変えないほうがよいもの」
 第6講 読者はどこにいるのか
 第7講 贈与経済と読書
 第8講 わけのわからない未来へ

 第1講が「キャリア」から入るのは、これがメディア志望の学生を想定した「メディアと知」という神戸女学院大学の講義をもとに生まれた本のため。しかし、この講義、通りいっぺんの教養的なメディア論ではなく、まさに講義名通り「メディアと知」に関する考察になっており、そこから日本のメディアの危機が浮き彫りになる。
 で、印象に残ったところを抜書きすると...

 マスメディア凋落の最大の原因は、ボクはインターネットよりもむしろマスメディア自身の、マスメディアにかかわっている人たちの、端的に言えばジャーナリストの力が落ちたことにあるんじゃないかと思っています。
 厳しい言い方ですけれど、ジャーナリストの知的な劣化がインターネットの出現によって顕在化してしまった。それが新聞とテレビを中心として組織化されていたマスメディアの構造そのものを瓦解させつつある。

 その通り、という感じがする。インターネットとケータイがマスメディアの凋落を「加速」した面はあったとしても、「原因」ではない。

 情報を評価するときに最優先の基準は「その情報を得ることによって、世界の成り立ちについての理解が深まるかどうか」ということです。

 そう考えると、テレビでもラジオでも新聞でも雑誌でも本でもインターネットでもメディアは何でもいい。問題はコンテンツ。そしてコンテンツそのものがテレビ、新聞、雑誌では全般的に劣化してきている。

 責任逃れのためとはいいながら、ジャーナリズムが「無知」を遁辞に使うようになったら、おしまいじゃないだろうかと僕は思います。世の中の出来事について、知っていながら報道しない。その「報道されていない出来事」にメディア自身が加担している。そこから利益を得ているということになったら、ジャーナリズムはもう保たない。

 う〜ん。これもするどい。確かに内田氏が指摘するように「こんなことが許されていいんでしょうか」に代表される「私たちはこんなこととは知りませんでした」的なカマトト・ニュースは多い。で、この原因は...

 メディアの「暴走」というのは、別にとりわけ邪悪なジャーナリストがいるとか、悪辣なデマゴーグにメディアが翻弄されているとかいうことではありません。そこで語られることについて、最終的な責任を引き受ける生身の個人がいない。「自立した個人による制御が及んでいない」ことの帰結だと僕は思います。

 官僚を批判するメディアもまた官僚になっているということか。悪意がないということは、構造的に問題があるということ。で...

 メディアが急速に力を失っている理由は、決して巷間伝えられているように、インターネットに取って代わられたからだけではないと僕は思います。そうではなくて、固有名と、知の通った身体を持った個人の「どうしても言いたいこと」ではなく、「誰でも言いそうなこと」だけを選択的に語っているうちに、そのようなものなら存在しなくなっても誰も困らないという平明な事実に人々が気づいてしまった。そういうことではないかと思うのです。

 これまた的確な批評。ある日、テレビも新聞も必要ないことに気づく。「誰でも言いそうなこと」は、インターネットで無料で提供されているから。おまけにネットには「どうしても言いたいこと」もある。
 次に、話題の電子書籍について

 電子書籍が読者に提供するメリットの最大のものは「紙ベースの出版ビジネスでは利益が出ない本」を再びリーダブルな状態に甦らせたことです。絶版本、稀覯本、所蔵している図書館まで足を運ばなければ閲覧できなかった本、紙の劣化が著しく一般読者には閲覧が許可されなかった本、そういった「読者が読みたかったけれど、読むことの難しかった本」へのアクセシビリティを飛躍的に高めたことです。

出版、わが天職―モダニズムからオンデマンド時代へ これは『出版 わが天職』で、米国の名編集者、ジェイソン・エプスタインが展開していた議論と同じ(エプスタインは編集者として、そこに「希望」を見見出していた)。電子書籍も、(既存の)出版社視点に立つのか、読者視点に立つのかで見方が変わる。読者視点に立つほうが電子書籍の本当のインパクトを正しく伝えてくれるのではないかと思う。出版社視点は欲の絡んだ「皮算用」で、読者視点はもっと純粋な「ニーズ」だから。
 内田氏は、出版メディア論として「本棚」の機能をあげる。「本棚は人間関係を取り結ぶためにきわめて有益な情報を提供すてくれます」という。本棚は、その人の知性と人間性を見せてくれる装置でもある。確かに「本棚を知的に埋める」ことは出版社にとって成功の大きな要因だった。改造社の『現代日本文学全集』に始まる円本ブームは、関東大震災で東京が灰燼に帰し、改めて本を揃えたいという「本棚」需要が生まれたからとの説もある。いまや世界を代表する巨大出版社の独ベルテルスマンも、第2次大戦で壊滅したドイツが復興していく中での「本棚」需要をうまく捉えたことが成長の基盤となったという記事を読んだ記憶がある。
 ともあれ、新書やブログなどのミドル・メディアの時代との指摘やら、贈与経済を考えるところから著作権原理主義の不毛を語るところなど、どこを切っても、現在のメディアを考えるうえで、さまざまな刺激を与えてくれる本だった。