三菱一号館美術館、あまりにも三菱的な...

 ふっと時間ができたので、三菱一号館美術館に「三菱が夢見た美術館ーー岩崎家と三菱ゆかりのコレクション」を見に行く。「三菱一号館美術館開館記念展」ということで、平日なのに結構、混雑していた。観客の年齢が高めで、シルバー層の名所になっている感じがした。
 それはともかく、この「三菱が夢見た美術館」、いまは「三菱一号菅美術館」として結実したわけだが、そのコレクションを見ての第一の感想は、良くも悪しくも、いかにも三菱的、あまりにも三菱的。多くの名画が集められているものの、無難というか何というか。役員室や役員応接室にかけるのに、ちょうど良い名画という感じ。「組織の三菱」らしく、収集に個性、アートに対する情熱、コレクターとしての思いがない。ブリヂストン美術館に見る石橋正二郎の思い、審美眼のようなものが感じられない。大原美術館を創った倉敷紡績の大原孫三郎、大原総一郎のような芸術に対する熱情も見えない。
 テレビの「龍馬伝」で香川照之が演じている岩崎弥太郎のイメージに引きづられて言うわけではないんだが、美術館の展示品を見ているうちに、やはり三菱というのは政商として成り上がったんだったのだなあ、と思う。江戸時代初期の17世紀から存在する三井、住友に感じる町人文化で培った趣味良さのようなものが見えない。下級武士あがりの無骨さなんだろうか。有名な者は集めるのだろうが、自分から美術品の価値を発見し、収集していく感じがしない。自分自身の審美眼を持っていない雰囲気が、コレクションから見えた。関東大震災や戦災で焼失したものもあるらしいから、この展示物だけで語るのは難があるのかもしれないが、アートの世界について三菱・岩崎は疎かったのではないかと気がしてならなかった。美しいが、安全な絵なばかりに見えてしまう。
 むしろ、東洋文庫が収集した文献資料の数々に三菱・岩崎家の執念を感じた。「ターヘル・アナトミア」と「解体新書」が並んで展示されているのを見ると、素直にこれはすごいと思う。岩崎弥太郎以来、三菱人は根っからの情報人間だったのかもしれない。アートよりもテキストに興奮するのが三菱・岩崎だったのではないか。レンガづくりで明治風の立派な美術館だったが、本当は巨大文書館を作り、所蔵する古文書をすべてデジタル化して世界に公開するようなことの方が三菱・岩崎家には向いていたんじゃないかーー圧倒的な文書類の展示と、毒のないアートの展示を見ているうちに、そんなことを感じてしまった。