梅棹忠夫(聞き手・小山修三)『梅棹忠夫 語る』

梅棹忠夫 語る (日経プレミアシリーズ)

梅棹忠夫 語る (日経プレミアシリーズ)

 2008年に梅棹忠夫の米寿を記念したシンポジウム開催の際に「体調に不安があるので、まえもって私(小山)が聞き取りをして、梅棹さんが来られない場合は、それを読み上げるという次善の策」として行われたインタビューの記録。梅棹の生涯をたどりながら、学問、インテリ道批判から知的生産の技術、情報産業論まで語る面白い本だった。既に高齢で体調も万全ではなかったと思われ、梅棹氏の答えは簡潔だが、それでも、やはり面白い。この本を読んでいるうちに、『文明の生態史観』や『情報産業論』を読み返してみたくなった。梅棹は学者というよりも思想家と話も出てくるが、たしかに梅棹忠夫は思想家であり、ビジョナリーであったと思う。
 目次で内容をみると...

第1章 君、それ自分で確かめたか?
第2章 文章は誰が読んでもわかるように書く−−記録と記憶の技術(1)
第3章 メモ/スケッチと写真を使い分ける−−記録と記憶の技術(2)
第4章 情報は分類せずに配列せよ−−記録と記憶の技術(3)
第5章 空想こそ学問の原点
第6章 学問とは最高の道楽である
第7章 知識人のマナー
第8章 できない人間ほど権威をかざす
第9章 生きることは挫折の連続である
エピローグ つねに道なつものにあこがれてきた

 第1章のタイトルからも、わかるように梅棹忠夫は実地調査の人だった。引用よりも現場を重んじる。書籍からではなく、現象から本質をつかみ、理論化した。しかし、新渡戸稲造の『武士道』を読んだことがないというのは本当だろうか。このあたり、反インテリ道の人として冗談を言っているような気もして、よくわからないんだが、そのあたりのヤンチャさも含めて梅棹忠夫という感じがする。で、面白かったところを抜書きすると...
 『知的生産の技術』以来、情報整理本がいくつもベストセラーになっていることについて

梅棹 整理好きというより、日本のインテレクチュアルはひじょうにまちがっている。全部、分類がほんとに好きで、すぐ分類したがる。整理って言ったら分類だと。わたしからすれば、分類はするな。
小山 整理と分類はちがう。
梅棹 ぜんぜん違う。「分類するな、配列せよ」。機械的に配列や。それでいったらいいんや。大事なのは検索。しかし、ほとんどは分類して、それでおしまいになっている。

 インターネット時代がきちんとわかっていたんだな。次は小山の発言として出てくる梅棹語録

 梅棹さんはずっと、「日本政府は唯物論政府や」と言っておられましたもんね。

 「唯物論政府」−−うまい言い方だな。情報など知的資産価値というものがわからない。何かと言うと、すぐに箱(建造物)をつくってしまう。これは今の民主党政権も同じかもしれない。
 次に情報産業について、いくつかの発言

 情報と産業を分けて考えたらあかんねえ。情報産業というもんや。これは農業とか工業と対立するもんや。

 工業時代の次に来るのが、情報産業の時代ですよ、と。一種の進化論です。農業の時代、工業の時代、その次に来るのが情報産業の時代。

 情報産業の議論はしてくれても、みんな情報論だったな。そんなん、つまらん。わたしが言ってたのは産業論なんです。それなのになんで、あんなふうになるのかな。それくらい情報というものに、みんな興味があるということなのかな。結局、ひとつは、おそらくその前にあったコミュニケーション論にひきずられてるんだと思う。これは工業時代に対する情報産業、産業時代論であって、わたしが言っているのは文明論だった。だから、情報論とはちがうんですよ。みなさん「情報」という言葉にひきずられてしまった。

 このあたりも面白い。いまの情報産業社会を1963年に語っていたわけだ。いまでさえ、情報産業といった場合に、コンピューター製造業、デジタル製品製造業という工業レベルでしか考えていない人が結構いると思う。とりわけ政界・官界に...。
 続いて、国立民族博物館設立当時の「五箇条の御誓文」

 ふかい学識 ひろい教養 ゆたかな国際性 柔軟な実務感覚 ゆきとどいたサービス精神

 これは今の公共セクターにも必要なものだな。民主党政権もこうしたビジョンをもとに「新しい公共」を考えればいいのに。
 で、最近の批判、評判に弱い人達について

小山 でも世の中の人は、批判に弱いですな。
梅棹 ほんとに弱いね。批判に対して弱い。
小山 ぼくも梅棹さんじゃないけど、大学や博物館で「正論を貫け」って言っている。それしか方法がないでしょ。
梅棹 そうや。信じるところを貫かな、しかたない。みんな、批判をおそれるというより、評判を非常に気にする。その意味では、ジャーナリスティックでもあるし、芸能人的になってるね。いまの世の中で、芸能界がもたらした害悪はひじょうに大きいな。テレビがもたらした害悪。なんだかテレビに出るのが偉いっていうふうになってしまった。

 話がテレビにまで飛躍していってしまうが、このあたりもわかるなあ。テレビに限らず、会議でも何でも目立つのがえらい。しかも、上から公認された「目立ち方」が尊重された時代になっているという風潮にはなっているかもしれない。
 梅棹忠夫は一時はテレビの売れっ子だった。しかし、途中からテレビと縁を切り、ほとんど出なくなってしまう。テレビの権威主義化が嫌だったこともあるようだが、その理由について

 具体的ないきさつとしては、一緒に出演した子どもがひじょうに悪くなっていく。これは放送は人間を悪くする。子どもはまるで英雄みたいになっていくんやね。ひじょうに悪くなった。それで、こういうものは人間を悪くするから、自分はもうやめやと。

 加えて、テレビは「思想の媒体ではない」という。出版物では、自分の発言についてはすべて確認している。「それができない媒体には責任を持てない」と語る。そして「芸能化」が嫌だったと。その芸能化とは...

小山 芸能化というのは、同じことの繰り返しですか?
梅棹 それから、ウケるということだ。それがいやだった。だから芸能人とちがう。

 話は変わって、組織とリーダーシップについて

小山 いいリーダーの条件とは?
梅棹 フォロワーシップを経験し理解することやろな。
小山 みんなが平等な民主主義ですか。
梅棹 そういう民主主義はいかん。
小山 では上意下達、一糸乱れぬ軍隊のような組織をつくるのですか?
梅棹 それとは正反対や、わたしの組織の考えは、山で鍛えられた。中学生のころから、大人と一緒の町内会山歩きに行ったり、山岳部の仲間と計画をねって山に登っていた。計画を立てた人がリーダー、それに合意してフォロワーとなる。フォロワーシップとは盲従ではない。自分の意志や判断は持つけれども、隊長にはしたがう。山は危険がいっぱい、ときには命にかかわることもあるからな。

 なるほど。こうした山岳チームは確かに組織のモデルになるかも。常に反対者として存在し、フォロワーシップを知らなくてリーダーになると、どうなるか。今の菅政権かあ...。単なる権力・権威好きで、リーダーとしての重さに対する自覚がない人は怖い。フォロワーのこと、自分の決断の影響を考えないから。
 で、新入生から先輩に対する敬語は禁止・みんな呼び捨て、「団結は鉄よりもかたく、人情は紙よりもうすし」が合言葉だったという三高山岳部が今西錦司をリーダーに選んだ話.

梅棹 三高時代に世界の未開地の探検を夢見ていた仲間がいた。意気盛んやったが、強力なリーダーが必要であることを痛感していた。それは今西錦司をおいてほかにないと、今西さんを行きつけのおしるこ屋の2階まで引っ張りだし談判して、承諾を得たんや。
小山 師弟関係をただったのですね。
梅棹 いや、今西さんは理学部の講師やったが、講義を聴いたのは一人もいない。わたしたちは今西さんに育成されたのではなく、推戴したのや。弟子ではなく契約、ゲマインシャフトではなく、ゲゼルシャフト集団です。

 リーダーは自分たちで推戴するもの。これが強い組織であり、強いチームなのだろうな。
 このほかにも、面白い話、刺激的な話、参考になる話が盛りだくさん。権威主義嫌いでインテリ道を町人をバカにする武士道と否定し、町人型インテリを語ると思えば、知的生産の技術を語った合理主義者として、いまも強固なローマ字論者であったりもする。
 最後にIT革命について。小山氏が、IT革命をどう乗り切るのかについて興味があると梅棹に聞くところがある。梅棹は「興味はあるね。おもしろいやろうね。しかし、もう理解出来ない」と答える。さらに「興味はあるけど、自分で(ITを)やらないからですか」と重ねる。それに対する梅棹の答えは...
 「もう理解を超えた」
 梅棹にとっても理解を超えたIT革命社会を読み解くのは、誰なのだろう。
文明の生態史観 (中公文庫) 情報の文明学 (中公文庫) 行為と妄想 わたしの履歴書 (中公文庫)