沢木耕太郎『杯 WORLD CUP』

杯 WORLD CUP

杯 WORLD CUP

 沢木耕太郎による日韓ワールドカップの記録。サッカーの話であると同時に、サッカー場をめぐって歩く日韓旅行記ともいえ、深夜特急ならぬサッカー特急みたいな物語。飛行機、バス、タクシー、フェリー、鉄道、何でも乗り継いで日韓のスタジアムを渡り歩く。その経路はこんな具合...

 釜山(フランス対ウルグアイ)→名古屋→札幌(アルゼンチン対イングランド)→東京→鹿児島(イタリア対クロアチア)→東京→横浜(日本対ロシア)→東京→大阪→釜山→福岡→釜山→大邱(韓国対アメリカ)→ソウル→仁川(フランス対デンマーク)→ソウル→釜山→福岡→大分(イタリア対メキシコ)→大阪(日本対チュニジア)→東京→大分(スウェーデンセネガル)→福岡→神戸(ブラジル対ベルギー)→大阪→仙台(日本対トルコ)→東京→静岡(イングランド対ブラジル)→東京→済州→木浦→光州(韓国対スペイン)→ソウル→東京→ソウル(韓国対ドイツ)→福岡→東京→埼玉(ブラジル対トルコ)→釜山→大邱(韓国対ソウル)→ソウル→東京→横浜(ブラジル対ドイツ)

 すごい。この旅行記と、その中での出会いを読んでいるだけでも面白い。特に心をう打つのは、韓国の人々と韓国サッカーの魂。日本はどこか存在感が薄い。その薄味が日本ということなのかもしれない。サッカーに対する思いも韓国に比べて日本は淡白。そのためか、沢木耕太郎の筆も日本になると熱がない感じがする。
 しかし、2002年の開催から9年近くたって、この本を読むと、日韓ワールドカップがいかに日韓関係にとって大きなものであったかがわかる。日韓関係にとって、これはエポック・メーキングな出来事だったのだなあ。日韓サッカーがあってこそ、韓流ブームもあったのだな、と思う。全てとは言わないが、韓国にとっても、日本にとっても、いくつかの心理的・文化的な壁が、あそこで崩れた。この本はたまたま古本屋さんで見つけたのだが、時間がたってから、こうした記録を読むのはなかなか良いものだと思った。ああ、あのときが転換点だったな、とわかる。韓国は心理的に余裕を持った先進国になった。今度は中国を入れて、日韓中ワールドカップを開くといいのだろうか。
 日本サッカーについていうと、沢木耕太郎はトルシェが嫌いなんだなあ。もう全人格的に嫌悪感を持っている感じで、それがどこに由来するのか、よくわからない。中田英寿はいまから振り返ると、あの時の日本にはトルシェのような監督が必要だったと冷静に語っていたが...。さらに、この本を読むと、その4年後のドイツ・ワールドカップでの日本代表崩壊の萌芽が見える。ジーコの自由放任主義を受け入れるだけの力量が日本の選手たちにあるのかというところもそうだが、それ以上に、日韓サッカーの1次リーグ突破では、ディフェンダー陣に引いて守ることが成功体験になってしまった感じがする。攻撃陣と守備陣の思想の分裂の萌芽がここにあったのかもしれないと思ってしまった。
FIFA 2002 ワールドカップ オフィシャルDVD 総集編 深夜特急〈1〉香港・マカオ (新潮文庫)