村上春樹『夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです 村上春樹インタビュー集1997-2009』

 『アンダーグラウンド』刊行直後の1997年から『1Q84』BOOK1,2を書き上げて出版前の2009年までの18本のインタビューを集めた本。インタビュアーは海外であったり、日本であったり、海外勢の紹介には必ずと言っていいほど、取材嫌いとの紹介がある。このインタビューを読むと、村上春樹は日々、鍛錬しながら、作品をつくっていく人なのだということを改めて感じる。走るように書いているとも、書くように走っているともいえる。人間が抱える闇を語るには、作家は健康でなければならないという信念の人でもある。と同時に、繰り返し、日本の文壇(文学コミュニティ)から排除、排斥されたことが出てくる。だから、海外に行ったと。しかし、その交わらなかったところから、村上春樹の文学が生まれたのだな、とも思う。
 この本のタイトルは、フランスの雑誌のためのミン・トラン・ユイによるインタビュー「書くことは、ちょうど、目覚めながら夢見るようなもの」の中で出てくる言葉。ちょっと長くなるが、こんな一問一答。

−−あなたの作品において問題になっているのはいつも、境界線の向こう側、つまり身体と心、生と死、現実と別次元(パラレルワールド、無意識など)の境界線の向こう側に行くことです。ある種の動物、たとえば『羊をめぐる冒険』と『ダンス・ダンス・ダンス』の羊男や、『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』の一角獣は、こうした境界線を越えることを可能にしてくれています。こうした動物たちはどこからやって来たのでしょうか。
 村上 イメージをつかって、お答えしましょうか。仮に、人間が家だとします。一階はあなたが生活し、料理し、食事をし、家族といっしょにテレビを見る場所です。二階にはあなたの寝室がある。そこで読書したり、眠ったりします。そして、地下階があります。それはもっと奥まった空間で、ものをストックしたり、遊具を置いたりしてある場所です。ところがこの地下階のなかには隠れた別の空間もある。それは入るのが難しい場所です。というのも、簡単には見つからない秘密の扉から入っていくことになるからです。しかし運がよければあなたは扉を見つけて、この暗い空間に入っていくことができるでしょう。その内側に何があるかはわからず、部屋のかたちも大きさも分かりません。暗闇に侵入したあなたはときには恐ろしくなるでしょうが、また別のときにはとても心地よく感じるでしょう。そこでは、奇妙なものをたくさん目撃できます。目の前に、形而上学的な記号やイメージや象徴がつぎつぎに現れるんですから。それはちょうど夢のようなものです。無意識の世界の形態のようなね。けれどもいつか、あなたは現実世界に帰らなければならない。そのときは部屋から出て、扉を閉じ、階段を昇るんです。本を書くとき僕は、こんな感じの暗くて不思議な空間の中にいて、奇妙な無数の要素を眼にするんです。それは象徴的だとか、形而上学的だとか、メタファーだとか、シュールレアリスティックだとか、言われるんでしょうね。でも僕にとって、この空間の中にいるのはとても自然なことで、それらのものごとはむしろ自然なものとして目に映ります。こうした要素が物語を書くのを助けてくれます。作家にとって書くことは、ちょうど、目覚めながら夢見るようなものです。それは、論理をいつも介入させられるとはかぎらない。法外な経験なんです。夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです。

 村上春樹の創作のすべてを語った一節。ここからタイトルをとった理由がわかる。ここのすべてがあるから。
 この他、印象に残った発言は...

 六〇年代末から三十年たって、時代はある意味一回りしたと思うんです。一巡して、理想主義的なものの再来と言うと図式的に受け取られてしまいそうだけど、もう一度ポジティブなものを築き上げていく時期が来ているような気がする。バブルが崩壊したあとは、ネガティブなものが主流をとっていた。「こいつはバカだ」とか「こいつはダメだ」とか「これはくだらない」とか、今のメディアを見ていると、何か悪口ばかりじゃないですか。でも、そういうものというのは、人びとの心を淋しく虚しくしていくだけだろうという感じがしてならない。ネガティブなことを言ったり書いたりしているのは、簡単だし一見頭がよさそうに見える。実際、今のメディアがもてはやされているのは、それに適した頭のよさだったりする傾向があるけれど、僕はやっぱり、そろそろ新しい価値観を作るべき時期だと思うんです。それも、偉そうなものじゃなく、ありきたりのもので作っていく時期が。(略)僕としては小さなものごとを集めることで、大きな物語を作っていきたいと思っています。正面からボンと大きなことを言うんじゃなくて。

 これは今も変わらないかも。ますます必要とされているのかも知れない。

 僕は非常に私的な文学を追求しているわけで、個人的なテーマを、個人的な文体で、個人的な方向で二十年間やってきた。それはそれで正しかったと思うんだけど、ただ、ちょっと問題だと思うのは、周りを見回したときに主流がないんですね。一方に主流があり、もう一方に個人的なものがあって、両方がせめぎ合って文学の流れはできていくはずなのに、ハッと気がつくとメインストリームがない。僕がどうこう言うべきことじゃないんだろうけど、やはり驚かされます。

 これは文学だけではないかも知れない。主流のない国。
 次に芸術とオカネについて。「あなたはお金のために書いているのですか」という読者の質問に答えて...

 僕のいちばん大きな関心は、今のところ、より優れた、より大きな作品を書くことにあります。そして、お金で買うことのできるもっとも素晴らしいものは、時間と自由である、というのが僕の昔から変わらない信念です。時間と自由があれば、雑事に邪魔されることなく、集中して次の小説を執筆することができます。もちろんお金がなくても、ある程度、時間と自由を手に入れることはできます。いちばん重要なことは、お金があってもなくても、自分の魂をどこまで「飢えた状態」に置いておけるかということだと思います。

 続いて、「20世紀の偉大な文学作品の後にまだ書くべきテーマがあるでしょうか」という読者からの質問に...

 ただ僕に言えるのは、音楽を作曲したり、物語を書いたりするのは、人間に与えられた素晴らしい権利であり、また同時に大いなる責務であるということです。過去に何があろうと、未来に何があろうと、現在を生きる人間として、書き残さなくてはならないものがあります。また書くという行為を通して、世界に同時的に訴えていかなくてはならないこともあります。それは「意味があるからやる」とか、「意味がないからやらない」という種類のことではありません。選択の余地なく、何があろうと、人がやむにやまれずやってしまうことなのです。

 これが「書く」ということだなあ。
 オウム真理教原理主義集団など「どうして今日、閉じた社会が力を得ていると思うか」というインタビュアーの問いかけに..

 その答えは簡単です。今日、世界はひどく混沌としています。人はすごくいろんなことを考えなくちゃいけません。ストックオプションとか、IT産業とか、どのコンピュータを買ったらいいかとか。ケーブルテレビには五十四のチェンネルがあって、インターネットを使えば知りたいことは何でも知ることができる。すごく複雑で、下手をすると迷子になってしまいます。でも、小さな、閉じた世界に入れば、何も考えなくて済みます。導師や独裁者が、何をしたらいいか、何を考えたらいいか、教えてくれるんです。すごく簡単で、楽で、誘惑的です。オウム真理教に入った人たちのように、知的な人たちにとっても。でもそれは罠です。いったん閉じた世界に入ったら、逃げられません。ドアは閉じてしまうんです。

 何となくイーグルスの「ホテル・カリフォルニア」を思い出してしまった。
 911について。ワールド・トレード・センター事件について「まだうまく呑み込めていない。(略)あまりに唐突に、あまりに見事に起きてしまった」という村上の発言に、インタビュアーが「また、あの映像がきれいすぎましたからね」と突っ込み、その答えが...

 そうなんです。こういう言い方はまずいとは思うけど、ごく率直に言えば、超現実的なまでにクリアできれいです。僕が今のアメリカに行って、人々と話して感じるのは、我々が生きている今の世界というのは、実は本当の世界ではないんじゃないかという、一種の喪失感−−自分の立っている地面が前のように十分にソリッドではないんじゃないかという、リアリティーの欠損なんですね。
 もし9・11が起こっていなかったら、今あるものとはまったく違う世界が進行しているはずですよね。おそらくはもう少しましな、正気な世界が。そしてほとんどの人々にとってはそちらの世界の方がずっと自然なんですよ。ところが現実には9・11が起こって、世界はこんなふうになってしまって、そこで僕らは実際にこうして生きているわけです。生きていかざるを得ないんです。言い換えれば、この今ある実際の世界の方が、架空の世界より、仮説の世界よりリアリティーがないんですよ。言うならば、僕らは間違った世界の中で生きている。それはね、僕らの精神にとってすごく大きい意味を持つことだと思う。

 この文章を読んでいると、東日本大震災のことも考えてしまう。
 最後に、東京以外で最も好きな街を3つあげるとしたら、と問われて、村上春樹があげたのは、ボストン(米国マサチューセッツ州)、ストックホルム(スエーデン)、シドニー(オーストラリア)だった。また、村上春樹は、ジョアンナ・シムカス主演のフランス映画「若草の萌えるころ」がお気に入りらしい。これはロベール・アンリコ監督の映画だが、ゴダールの映画も好きで、飛行機の中でDVDを見たりしているらしい。
 このインタビューを読んでいて、改めて村上春樹の本を読んでみたくなってしまった。