マイケル・ルイス『ブーメラン』

ブーメラン 欧州から恐慌が返ってくる

ブーメラン 欧州から恐慌が返ってくる

世紀の空売り マイケル・ルイスの新作。ルイスには『ライアーズ・ポーカー』『世紀の空売り』の金融系と『マネー・ボール』『ブラインド・サイド』のスポーツ系の2つの系列があるが、こちらは副題に「欧州から恐慌が返ってくる」とあるように金融系。ある意味、『世紀の空売り』の続編といってもいいかもしれない。『世紀の空売り』で、サブプライムに売りをかけていた人々が今は国に売りをかけている。欧州危機を予見し、さらに、これから起きるであろう国家の債務危機を予見して動いていた。それをきっかけにルイスは取材に動くのだが、今度は投機家など特定の人物に焦点を絞るのではなく、債務危機に見舞われた国々を訪ねて歩く。その意味で英語のタイトル『BOOMERANG The Meltdown Tour』のほうが内容を表している。読んでいると、金融文化人類学とでも言いたくなるくらい危機の様相はそれぞれの国の文化を反映していることをルイスは解き明かしていく。そこが面白い。
 内容を目次で見ると...

序 章 欧州危機を見通していた男
第1章 漁師は投資銀行家になった
第2章 公務員が民間企業の三倍の給料をとる国
第3章 アイルランド人は耐え忍ぶ
第4章 ドイツ人の秘密の本性
第5章 あなたの中の内なるギリシャ

 第1章はアイスランド、第2章はギリシャ。現地を歩き、現地の空気を吸い、そして当事者たちにインタビューし、それぞれのバブルを描く。漁業の国から金融立国に暴走したアイスランド、徴税も歳出もメチャクチャで国家の体をなさず、社会的な信頼の基盤が崩壊してしまっている公務員天国のギリシャ、不動産融資に狂奔した銀行の借金まで政府が保証してしまったアイルランド、自国内では規律を重視ながら、海外では金融が暴走した二面性を持つドイツなど、どれも、面白うて、やがて哀しき話ばかり。第5章では、破産の危機に直面しているカリフォルニア州や現実に破綻したヴァレーホといった米国の州や自治体をレポートし、今回の問題が欧州だけの話ではなく、先進国に共通した問題、自分たちの問題であることが語られる(序章に出てくる、サブプライム崩壊で距離を得たヘッジファンドは日本とフランスの崩壊に今度は賭けているという)。
冒険投資家ジム・ロジャーズ 世界バイク紀行 (日経ビジネス人文庫) ルイスは一点突破全面展開のルポルタージュと言ったらいいのか、着眼点が面白い。アイスランドは北海漁業の荒々しい漁師の話、ギリシャは保守政権崩壊の引き金にもなった修道院の公共用地払い下げスキャンダル、アイルランドは不動産バブルを警告した、ある学者の話、ドイツではアラン・ダンデスの『鳥屋の梯子と人生はそも糞まみれ』を手がかりに、各国のバブル崩壊について論じる。しかし、投資家のジム・ロジャーズの世界一周旅行を見ていても思うが、アングロサクソンというのは、疑問を持つと、自ら現地に突っ込んでいく。このあたりが逞しさだなあ。そして、欧州危機と一言にいっても、それぞれ違ったものだとわかる。しかし、これを読んでいると、ギリシャの救済は無理なのではないかと思えてくる。徴税、歳出、つまり政府の機能を正常化させ、国民の信頼を回復するというところから始めるとすれば、どれだけ年数がかかるか、わからない...。
 一方、規律正しく、品行方正に見えるドイツの金融が米国の金融機関のカモになっていた話は、80年代バブルの日本を思わせる。日本をむしり尽くして、今度はドイツに行ったのだろうか。80年代バブルでの日本の惨状を見れば、教訓になっただろうに、ドイツの銀行も、アイスランドアイルランドも他国の歴史には学ばなかったのだなあ。日本のバブルと日本の文化はどう絡み合っていたのだろう。そんなことも考えてしまう本。ともあれ、面白いし、米国の州・地方都市の破綻は、日本の未来図でもあるかもしれない。まあ、日本でも既に夕張市が破綻しているわけだが...。
 最後に、いくつかおもしろったところを抜書きすると...

その人当たりのよさを、ギリシャ人は同胞に向けようとはしない。ギリシャではまず、その場にいない人間が褒められるということがない。どういう種類の社会的成功も、疑いの目で見られる。誰もが脱税し、あるいは政治家に賄賂を贈り、あるいは受け取り、あるいは不動産の価値を偽っている、と誰もが思い込んでいる。そして、この完全なまでの相互不信は、おのずから増殖していく。うそやぺてんや盗みがさらにはびこる。他者への信頼を失った者は、自分自身と家族のことしか考えなくなる。
ギリシャ経済の構造は集産主義的だが、国民性はそれに逆行しつつある。自分ことしか考えない個人の集合体、というのがこの国の実態だ。投資家たちはこのシステムに数千億ドルをつぎ込んできた。そして、借り入れブームがこの国の首を締め、モラルの全面的な崩壊へと追いやってしまった。

 相互不信に陥った社会を再建することは生半可なことではない。早くギリシャをデフォルトさせたほうがいいと主張するメディアがあるのもわかる。で、ギリシャの雄弁家、イソクラテスを刻んだ修道院の銘板を紹介して...

“民主政が自壊するのは、みずからの自由と平等の権利を濫用するからである。みずからが、無謀は権利であり、無法は自由であり、無礼な言説は平等であり、無秩序は進歩であると、民に教えるからである”

 ウィキペディアを見ると、イソクラテスは紀元前400〜300年代の人。こうした先人を持った国でさえ、その警告を活かすことをできずにいるのだなあ。で、ギリシャだけではなくて、これはどこの国にでも(日本にも)通じる話だなあ。
 カリフォルニア州財政再建問題では、前知事のシュワルツェネッガーも登場する。意外なことに、というと、失礼かもしれないが、シュワちゃん財政問題に真摯に取り組もうとして法案も提出するが、州議会で否決されてしまう。選挙を考えると、支出削減も嫌、増税も嫌という“民意”で議員は動くことになり、その壁を打ち破れなかったらしい。イソクラテスの警告が生きていないというギリシャ国民に対する批判はそのままブーメランのように自分のもとに返ってくる。

鳥屋(とや)の梯子と人生はそも短くて糞まみれ―ドイツ民衆文化再考

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