渋谷陽一『ロックミュージック進化論』
- 作者: 渋谷陽一
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 1990/10
- メディア: 文庫
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目次で内容を見ると...
●ビートルズ(1)
まずその個人的追憶と怨念
●ビートルズ(2)
60年代の欠落部分を反映するヒーロー
●ビートルズ(3)
終わってしまった夢 ジョン・レノンについて
●ブルース・ロック
えいえいの恋人、黒人音楽を追い求める
スーパー・セッションという名の神話
●サイケデリック・ミュージック
ウェスト・コーストの文化を変えた
●60年代のロック
死んでいったミュージッシャン
●ハードロック
その役割と見きわめなければならない限界
●グランド・ファンク
後楽園球場と新宿の夏
●レッド・ツェッペリン
新しい科学としての音楽と黒魔術
●プログレッシブ・ロック
否定性の彼方へ向かうもの
●グラム・ロック
その虚構性とは
●パンク・ロック
それはロックの終末宣告か
これに渋谷陽一氏がホストとなった山川健一氏の対談「ポップス化の流れの中で」、ピーター・バラカン氏との対談「黒人音楽の流れに沿って」がつく。こちらは読み飛ばしてしまった。
印象に残ったところを抜書きすると...
ハードロックは一種のだだっ子のようなものであった。何に対してもイヤイヤをするばかりで、それ以上の意思表示をしない。何が欲しいとも、何がしたいとも言わず、ひたすらイヤイヤするだけである。展望がないと言えば、これほど展望のない発想もないだろう。ハードロックはある意味で、スタートの時点で敗北していたと言っていい。多少批評能力のある人なら、たとえハードロックを演ったとしてもそれに気づくはずだ。言ってしまえばいつまでもハードロックにへばりついているのは頭の悪いミュージシャンばかりという事になる。
ハードロックの限界性を見きわめ、それを止揚するところからしか新しい表現は生まれない。それを自覚できていないハードロック・ミュージシャンは、ほとんどだめになってしまった。
なるほど。続いて、パンク・ロックについて...
新しいムーヴメントというのは、一種の揺れ戻しとして現われる。パンクも、まず自分達の最初の敵として既存のロック・バンドを挙げた。肥大し曖昧になるばかりのロックに対し本来のパワーと直接性を回復させるべくパンク・ロックは登場したのだ。
いつの間にかロックは中産階級の安定のシンボルとなり、一種のヒット・ソング大量生産工場化してしまっていた。ハードロック・バンドにしても、パターン化したスタイルをくり返すばかりで、新しい事は何もやらない。
景気が下降し、どんどん閉鎖された状況に追い込まれていくロンドンのティーン・エイジャーにとって、そうしたロックには何んのリアリティーも感じる事ができない。パンク・ロックが現れたのは、そうした状況を考えると当然の事といえるだろう。
そうだったのだ。ロックの世界もまた、歌は世につれ世は歌につれ。ということで、面白かった。