ベン・バーナンキ『連邦準備制度と金融危機』

連邦準備制度と金融危機―バーナンキFRB理事会議長による大学生向け講義録

連邦準備制度と金融危機―バーナンキFRB理事会議長による大学生向け講義録

 副題に「バーナンキFRB理事会議長による大学生向け講義録」とあるように、米国の中央銀行トップが2012年3月にジョージ・ワシントン大学ビジネススクールで4回にわたって行った講義の記録。本のタイトルは硬いが、学生向けの講義であり、質疑応答も受けているので、金融危機、デフレ問題などについて、わかりやすく解説している。安倍政権になって起きている日銀問題を理解する上でも格好の書であり、と同時に、安倍政権vs日銀でいえば、安倍政権の主張のほうがバーナンキをはじめとする現在の欧米の中央銀行の思想に近いことがわかる。
 そして何よりも、この本を読んでいて感じるのは、バーナンキの対金融危機、対デフレに対して、中央銀行として、できることは何でもするのだという強い決意であり、覚悟。それが1990年のバブル崩壊以来、20年以上も浮かびあがれない日本と、インターネット・バブル崩壊サブプライム危機と何度も危機に瀕し、特に2008年のリーマン・ショック後の金融危機でデフレに落ち込む危険を抱えながら、何とか持ちこたえている欧米の差となっているように思えてくる。少なくとも、ここ数年の経済運営でいえば、デフレに対して、中央銀行として金融政策で防衛すると力強く語るバーナンキ議長と、中央銀行としてデフレ対策としてできることは限られているという白川日銀総裁では、市場心理、経営者心理に与える影響はかなり違い、それがひいては経済にも反映してしまっているように思える。
 で、目次で内容を見ると…

第1回講義 連邦準備制度の起源と任務
第2回講義 第二次世界大戦後の連邦準備
第3回講義 金融危機に対する連邦準備の対応
第4回講義 金融危機の余波

 印象に残ったところを抜書きすると、まず中央銀行の役割…

その第一はマクロ経済の安定を達成しようと務めることです。それは、一般的に経済の安定的な成長を意味します。経済が大きく振れたり、不況に陥ったりするのを避け、また、インフレーションを低位で安定的に維持することです。中央銀行のもう一つの機能は、この講義で明らかに多くの注目を集めると思いますが、金融を安定させる機能です。中央銀行は、通常時は金融システムが機能し続けるように努めます。そして非常時には、中央銀行は金融パニック、金融危機を防止しようと務め、その防止に成功しなかったとしても金融パニック、金融危機を和らげようと努めます。

 わかりやすい。マクロ経済への責任を語り、さらに「インフレーションを低位で安定的に維持する」と言っている。インフレだけが経済への阻害要因ではなく、デフレの危険性についても強く意識している。そして「経済安定化に対する主要な手段は、金融政策です」と語っている。金融政策の担い手が、そのネガティブな面ばかり強調するようなことはしていない。
 一方、後者の金融パニック・危機の防止にあたっては「流動性の供給(金融機関に対する短期の貸出)」、つまり、中央銀行は「最後の貸し手」。これは「中央銀行は相手が誰であれ担保を持っている限りは物惜しみしないで貸し出すべきである」というウォルター・バジェットの思索が基礎にあるという。その本がこちら…

ロンバード街 金融市場の解説 (日経BPクラシックス)

ロンバード街 金融市場の解説 (日経BPクラシックス)

 読んでみるかな。で、このほかに中央銀行には「金融の規制・監督」により、金融システムを健全に保とうとする役割も重要になってきているという。
 金本位制に対する議論もあり、これについてバーナンキは否定的。その理由は...

金本位制がマネーサプライを決定するので、中央銀行が経済を安定化させるために金融政策を使う余地はほとんどありませんでした。とりわけ金本位制下では、経済活動が活発な時期にはマネーサプライは増加し、金利は低下するのが通例です。これは中央銀行が今日行うことの反対です。

 もっとも、中央銀行から裁量を奪うことを反対に評価する人たちもいることも指摘している。ただ、経済の振れは激しくなるという。そして、金本制度論者は、金本位制を採用した国家間では固定相場制がもたらされることを評価しているわけだが、これも…

 固定為替相場は固定相場の国々の間で良い政策も悪い政策も伝達する傾向があります。また、各国が自国の金融政策を運営する独立性を奪ってしまいます。

 と指摘する。なるほどね。
 1930年代の大恐慌はなぜ長期化したのか。それについて、バーナンキは、こんな視点を紹介する。

 問題のある部分は、政策それ自体というよりも知性だったのです。1930年代当時、清算主義者理論と呼ばれた経済に対する考えないしアプローチは大変支持されていたのです。その考えの背景にあったのは、1920年代はあまりにも良過ぎる時代であったということでした。経済はあまりにも速く拡大しました。成長はあまりにも速かったのです。あまりにも多くの信用が供与されました。株式価格はあまりにも高く上昇しました。そして、過剰の時代があったなら、その後には、すべての過剰を絞りだすデフレーションの時代が必要です。このように、不況は不幸だが、それはある程度必要だとする見解があったのです。

 この1980年代のバブル後の日本も同じだなあ。同じような知性といか、知的認識があった。それが同じようにデフレを深くしたのかもしれない。それが思い切った金融緩和を妨げることになる。日本の場合、こうした認識は2013年になった現代も生き続けているのかもしれない。
 バブル対策について…

 資産価格バブルからわれわれが学んだことは、それは危険であること、そして、もし可能であれば、それに対処することが望ましいということです。しかし、金融規制のアプローチを通じてバブルに対処できるのであれば、その方が、単にすべてに対して金利を引き上げるよりも、通常はより焦点をあてたアプローチであると私は思います。

 金利でバブルを潰そうとすれば、一緒に経済も潰してしまうかもしれない。それよりも、銀行の貸し出しに対する規制や取引所の規制を活用すべきなのだろうなあ。
 インフレについて

 長期間にわたる低く安定したインフレーションは、経済をより安定的にし、健全な成長と生産性、経済活動を支えます。したがって、低インフレーションがよいことは明らかです。

 それはそうだな。そして80年代、米国も、他の多くの国も低インフレの時代を迎え、米国は90年代から2000年代へと「グレート・モデレーション」という安定した経済の時代を謳歌した。しかし、それがサブプライム危機などの原因にもなったと…

 われわれの金融システムの民間部門と公的部門の双方に脆弱性があったのです。民間部門についてみると、多くの借り手と貸し手があまりにも多くの借金を買いました。あまりに多くのレバレッジを使ったのです。そして彼らがそうした一つの理由はグレート・モデレーションなのです。比較的平穏な経済・金融状態の20年間があり、人々はより自信を持ち、より多くの借金をより進んでするようになりました。

 好事魔多し、だなあ。日本も1960年代の高度成長期から70年代の2度の石油ショックを乗り切った自信から、80年代の狂乱と90年代の崩壊につながっていく。どの国でも、人間の本性は変わらないのかも。
 中央銀行にとって透明性が重要である理由について…

第一に、中央銀行が独立していることから重要なのです。(略)もし、中央銀行が独立していて皆に及ぼす重要な決定を下すとすると、中央銀行が説明責任を負わなければならないことは明らかです。(略)われわれが何をしているのか、なぜそうしているのかを説明することは私にとって非常に重要です。(略)
もう一つは、時がたつにつれ、透明性があることによって金融政策が多くの場合によりよく機能することがありうるとの理解が増してきていることです。(略)コミュニケーションは、また、不確実性を減らし、金融市場における金融政策の影響を増すのに役立つのです。

 これまた、ごもっとも。このあたりの能力も日銀とは違うような。日銀も情報公開という形には積極的だけど、出しているメッセージは「金融政策で、できることはもうありません」というようなことが多い。ウソでも、あると言ったほうが経済にはいいと思うんだが、そうした老獪さはないんだなあ。
 大恐慌中央銀行に残した教訓…

その第一は、1930年代には連邦準備は銀行システムを安定化させるために十分なことをしませんでした。そして、そこからの教訓は、金融パニックにおいては、中央銀行は、取り付けを止め、金融システムの安定化を図るためにバジェットのルールに従って自由に貸し出しすべきだということでした。そして、大恐慌の第二の教訓は、連邦準備はデフレーションとマネー・サプライの縮小を防止するのに十分なことをしなかったのであり、経済が深刻な不況に陥るのを避けるのに役立つように緩和的な金融政策をとる必要があるということです。

 歴史に学ぶのだなあ。日本は前者は及第点だったのかもしれないが、後者では同じ失態を犯したということだろうか。米国は、リーマン・ショック後の経済運営に、この教訓を生かしている。
 非伝統的金融政策について…

 2008年12月時点で通常の金融政策は使い尽くしてしまったのです。フェデラル・ファンズ金利はもうこれ以上引き下げることはできません。それにもかかわらず、経済が追加支援を必要としていることは明らかでした。2009年に入っても経済は依然として急速なペースで縮小していました。われわれは、経済を支える他のなにかを必要としていましたので、通常の金融政策ではないものに目を向けました。そして、われわれが用いた主な手段は、連邦準備の残高のなかでわれわれが大規模資産導入(LASP: The Large-Scale Asset Purchases)と呼ぶものでした。それは、新聞その他では量的緩和QE: Quantiative Easing)としてより広く知られています。

 伝統的な金融政策を撃ち尽くして、もうできることはないというか、それ以外にも何か手段がないかと考えるのか、ここにもデフレの危機に直面した中央銀行の決意と覚悟の差が出てくるなあ。で、ここで狙った効果は…

 その基本的な考えは、われわれが国債GSE債券を購入してバランスシートに計上すると、それは市場でこの種の証券の入手可能な供給を減らす、というものです。投資家がこれらの証券を保有したいと望めば、彼らは低い利回りを受け入れなければなりません。別の言い方をすると、もし、これらの証券の入手可能な供給がより少なくなれば、投資家はこれらの証券に対してより高い価格を払うのを厭いません。価格は利回りと逆の関係にあります。

 債券価格が上がれば、利回りは低下する。実際、国債の購入で、長期国債GSE債券の利回りは下がったという。そして、それは他の債券の金利にも波及する。というわけで…

 われわれは、短期利子率に焦点を当てるのではなく、より長期の利子率に焦点を当てていました。ですから、これは実のところ、別の名の金融政策なのです。そして、経済を刺激するために金利を引き下げるという基本的な論理は同じなのです。

 なるほどなあ。これに日銀は消極的だったんだけど、その視点は、金融と言うよりも財政だったのだろうか。
 で、さらにバーナンキ議長は…

 われわれは常に二つの目的を持っています。その一つは雇用の最大化です。われわれは、それを経済の成長を持続させ、また、その能力をフルに働かせることと解釈しています。そして、金利を引き下げることは成長を刺激し、人々が仕事に戻れるようにするための方法であると考えています。

 金融政策を担う者として雇用に対しても責任感を持っている。安倍首相は日銀の次期総裁に、バーナンキのような人物を望んでいるということだなあ。日本の話も講義ではちょっと出てくる。

 われわれはインフレーションを低く抑えてきたのと同時に、われわれはインフレーションがマイナスにならないようにすることにも努力してきました。特に2010年11月のQE2のころは、インフレーションが低下していく懸念がありました。インフレーションは通常の水準をかなり下回っていました。われわれには現実にマイナスのインフレーション、すなわち、デフレーションに陥るのではないかとの懸念がありました。日本の事情を知っている人は、それが日本経済にとって今まで何年もの間、大きな問題になっていることを理解しています。われわれがデフレーションを避けようと望んだのは確かです。私は、大恐慌下のデフレーションについても話しました。ですから、金融緩和は経済が弱くなり過ぎないようにすることでデフレーションのリスクにも備えたのです。

 日本が反面教師ということか。
 財政と金融については、こんな話も出てくる。

 多くの人が、金融政策と財政政策を明確に区別していません。(略)財政政策は、連邦政府の支出政策と課税政策です。金融政策は、連邦準備が行う金利の管理に関するものです。二つは全く別の手段です。そして、特に、連邦準備がLASP、すなわち、QEプログラムの一環として資産を買う場合を取り上げると、これは政府支出の一つの形態ではありません。それは政府支出として出てきません。なぜなら、われわれは実際にお金を支出していないからです。われわれがしていたことは、招来のいずれかの時期に市場に売り戻す資産の購入です。したがって、それら証券の購入額は後で受け取ることになるのです。実のところ、連邦準備はもちろんこれらの証券の利子を受け取るので、LASPで非常にいい利益を現実にあげたのです。われわれは、過去3年間に約2000億ドルの利益を財務省に譲渡しました。そのお金は財政赤字を減らすのに使われたのです。このように、これらの活動は財政赤字を増やすことではなく、実のところ、大幅に赤字を減らすのです。

 そういう側面もあるのだな。若干、ポジショントークみたいな感じもするけど、財政規律の問題を取り仕切るのは財務省であり、政府に責任があるというわけだなあ。
 一方、「物価目標」に絡む、こんな一節…

 われわれの政策をよりいっそう明確に伝えようとしてわれわれが採用したもう一つの手立ては、金融政策についてのわれわれの基本的なアプローチを記載した声明を公表することでした。そして特に、初めて物価安定の数値による定義を示したことです。世界中の多くの中央銀行が物価安定の数値による定義をすでに持っています。われわれは声明のなかで、目的として、物価安定を2%のインフレーションと定義すると述べました。ですから、連邦準備は成長と雇用の目的を達成しようと努力するけれども、中期的には、2%のインフレーションを達成するように努力することを市場は知ることになるのです。

 なるほど。日銀は自分たちも「1%」としていると言うんだろうけど、そのための努力をするとマーケットが思っていないところに問題があるし、中央銀行が信頼されていないんだなあ。FRBの場合、「投資家と一般公衆に、現在の経済見通しを前提にして、フェデラル・ファンズ金利を将来われわれがどう調整しようと考えているかについての手引きを提供し始めた」というから、市場との対話と信頼確保をさらに徹底している。
 で、インフレ目標は「2%」で十分かという学生からの質問に対して、バーナンキ議長は…

 それは大きな問題で、それについてはたくさんの研究があります。国際的なコンセンサスはほぼ2%というところです。つまり、ほとんどすべての中央銀行は、2%を目標としてもっているか、あるいは、1から3%の目標、ないしそれに類するものをもっているかのいずれかです。ここにはトレード・オフがあります。なぜなら、一方で、目標はゼロを上回るようにしたい。それは、あなたがいったように、デフレーションのリスクを避ける、ないし、減らすためです。しかし他方で、インフレーションが高すぎると、それは市場に問題を生じさせるでしょう。高いインフレーションは経済を効率的でなくします。そして、繰り返しになりますが、国際的なコンセンサスはほぼ2%で、それは連邦準備が非公式にかなり長い間とってきた見解でもあります。それは、われわれが公表しているもので、遠くない将来においてわれわれが留まっていたいと計画している水準です。

 「1%」は日銀のことだろうけど、「2%」が国際的なコンセンサス。安倍首相が突然、妙なことを言い出したわけでもないわけだ。
 で、最後にひとつ。この本にはいくつものグラフが乗っているのだが、その一つが「大恐慌時との比較<S&P500 株価指数>」というのがある。これを見ると、リーマン・ショック後の金融危機で、株価は最初の15、16か月は大恐慌時と同じように暴落を続けるが、バーナンキFRBの金融緩和政策などによってその後、株価は反転する。大恐慌時には株価は最高値から85%の価値を失ったというが、今回は回復が進んでいる。一方、日本は日経平均が1万円台に乗せて喜んでいるが、最高値は1989年の3万8915円。いまだ25近辺の水準で低迷している。しかも20年以上…。これは中央銀行の差なのだろうか。歴史に学び、どれだけの覚悟をもって臨むかということだろうか。
 長々とメモしたが、いろいろな意味で刺激的な本。そして、安倍政権の登場で、日銀総裁人事が注目される中では、必読の書かもしれない。これまでの日銀の金融政策が本当に正しかったのか、疑問を持たせる本でもある。少なくとも、バーナンキFRB議長と白川日銀総裁が同じような考え方の人とはとても思えない。