デイビッド・ウェッセル『バーナンキは正しかったか? FRBの真相』

バーナンキは正しかったか? FRBの真相

バーナンキは正しかったか? FRBの真相

 サブプライム危機に端を発した金融危機の中で、米国のFRB、特にバーナンキ議長がどう対応していったかというルポルタージュウォール・ストリート・ジャーナルの記者の本とあって緻密に取材しているが、判断ミスもありながら、事実誤認と見るや、修正し、試行錯誤を繰り返しながら、危機を乗り切っていった米国の財務・金融当局の動きには見習うべきものがある。金利ゼロとなったときに、金融政策として打つ手がないと諦めるのか、何か方法があるのではないか、できることは何でも試して、やってみるというところに日銀と比較して、中央銀行としての覚悟の差が見えてしまう。
 バーナンキ大恐慌の研究で名を成した人だけに、大恐慌の際にFRBが犯した過ちは二度としないという強い決意がある。完全無欠であったわけではなく、間違いもあったが、間違いと気づけば直し、当初は合議制の人だったのだが、危機に際しては誰かが決断しなければならないことに気づくと、自ら責任をとって行動している。しかし、サブプライム危機からリーマン・ショックに至る金融危機の中で、ブッシュ大統領の影は薄く、バーナンキFRB議長とポールソン財務長官の2人がリーダーシップをとっていたこともわかる。バーナンキは、インフレ目標導入の提唱者で、どのような議論がFRB内部であったのかも紹介されていて、今の日本を考えながら読むと、面白い。
 目次で内容を見ると...

序 章 アジア市場が開く前にーー必要なことは何でもやる
第1章 リーマン倒産劇の舞台裏
第2章 FRB秘史ーー周期的な金融混乱
第3章 グリーンスパンの「錯覚の時代」
第4章 バーナンキって何者だ?
第5章 グレートパニック発生
第6章 バーナンキのブレーンたちーーコーン、ウォーシュ、ガイトナー
第7章 四銃士集結
第8章 FRBの対策はなぜ後手に回ったのか
第9章 ベアー・スターンズ救済ーー「異常かつ緊急な状況」
第10章 ファニーとフレディーの緊急事態
第11章 リーマン崩壊、AIG救済
第12章 「アメリカ的特徴を持つ社会主義
第13章 ゼロ金利政策
第14章 バーナンキフリードマンとの約束を守ったか

 最後のフリードマンというのは、シカゴ学派の巨頭、ミルトン・フリードマンのこと。約束とは、2002年12月のこんな話...

フリードマンの90歳の誕生日を祝う席で、バーナンキフリードマン(とアンナ・シュウォーツ)にこう誓ったのだ。「大恐慌についてですが、お二人のおっしゃるとおりです。われわれ(FRB)がそれを引き起こしたのです。とても残念なことです。でも、お二人のおかげで、われわれは同じ過ちは繰り返しません。

 FRB金融危機がデフレ・大失業といった大恐慌になることを何とか回避したわけだが、それはバーナンキが議長だったという幸運もあるのかもしれない。ちなみに、大恐慌におけるFRBの責任を指摘した「お二人」の本はこちら...

大収縮1929-1933「米国金融史」第7章 (日経BPクラシックス)

大収縮1929-1933「米国金融史」第7章 (日経BPクラシックス)

 これも読んでみるかな。
 で、面白かったところをいくつか抜書きすると...
 バーナンキは、経済がデフレに悪化していくのを防ぐには、大規模な金融緩和であると主張していた。というわけで、こんな話...。

 FRB内部の反対にもかかわらずーーまた初動の遅れにもかかわらずーーバーナンキは最終的には、日本の中央銀行に対して自分自身が行った提言を実行することを決意する。10年余り前、日本銀行は成功が100パーセント保証されているわけではない政策を試すことに乗り気ではなかった。バーナンキは1999年にこう提言した。「日本におけるルーズベルト式の決意が必要なときではなかろうか......(ルーズベルトの)政策の多くは意図した成果をもたらさなかったが、破綻したパラダイム(枠組み)を捨てて実行する必要のあることを実行する勇気を示したことで、ルーズベルトはやはり大きな称賛に値する」
 本書はバーナンキFRBが「実行する必要のあることを実行する」ために「破綻したパラダイム」を捨てた物語だ。

 安倍政権を善意で解釈すると、これと同じ決意でいるのだろうな。そして政策的にも「アベノミクス」といわれるものは、バーナンキの経済学といったほうがいいところがある。バーナンキの経済学もまだ現在進行形で完全に結論が出ているわけではないが、ともあれ大恐慌、デフレ経済化を防ぐうえで効果を発揮している。
 「オズの魔法使い」と通貨論争について

 通貨についての論争は大衆文化にさえ入り込んでいた。実際、1900年に出版されたL・フランク・ボームの不朽の名作『オズの魔法使い』は、金本位制を批判する巧みな寓話と解釈されてきた。主人公の少女ドロシーはアメリカ人の最良の姿を表しており、エムおばさんとヘンリーおじさんは困窮した農民、竜巻は1890年代の金融恐慌や政治不安を表しているのだと。ドロシーは(映画版のルビーの靴ではなく)銀の靴で、権力の中心であるエメラルドの都(ワシントン)に至る黄色いレンガ道(金本位制)を歩く。錆びたブリキの木こり(失業した都市の工場労働者)、かかし(農民)、それに恐ろしい吠え声の臆病なライオン(平和主義者のウィリアム・ジェニングス・ブライアンとする説もある)がお供につく。オズの魔法使いはペテン師の政治家と解釈され、ウィリアム・マッキンリー大統領を操っているとみなされていた策略家のマーク・ハナだとする説もある。

 なるほど。「オズの魔法使い」にそんな含意があったのか。

オズの魔法使い (新潮文庫)

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 そして、この大衆思想は根強く、続いているのだとか。こんな具合...

 ポピュリズム(人民主義)と金銀本位制を推進する運動は、1896年の大統領選挙でマッキンリーがブライアンを破ったとき消滅したが、借り手と貸し手、農民と金融資本家、労働者とウォール街の対立は消えはしなかった。巨額のマネーに対する反感は時代によって高まったり弱まったりしたが、アメリカの労働者や農民や債務者は、このような悲惨な経済状況は「ウォール街」のせいだ、「マネー・トラスト」のせいだ、「泥棒男爵」のせいだという怒りを繰り返し抱いた。アメリカ社会の底流に根強く流れるこの反感は、アメリカ人が株価と住宅価格の上昇に浮かれていた1990年代から2000年代のほとんどの期間は減退していたが、グレートパニックの間に、何十億ドルもの税金を使って銀行が救済され、破綻企業の幹部に巨額のボーナスが支払われるなかで、激しさを増してよみがえることになる。

 ウォール街占拠運動もこうした文化的支持基盤があるのだな。
 バーナンキ大恐慌について。バーナンキ大恐慌に関する論文集のなかに、こんな一節があるというところから

 「1930年代初めの世界的な金融収縮は、その大部分が......設計上の欠陥を持つ制度、近視眼的な政策決定、好ましくない政治・経済状況の相互作用がもたらした意図せぬ結果だった」。大恐慌は、金融システムが崩壊するなかで政府が傍観していたために起きたのだ。「意味のある行動が何もとられないまま、傍観は三年半続いた。......銀行は倒産した。株式市場は崩壊し、他の信用市場は機能を停止し、外国為替市場は機能を停止した。こうした金融システムの崩壊が、デフレや金融政策とともに、大恐慌があれほど深刻化した基本的な原因だった」
 この結論、大恐慌は主としてFRBのせいだったという結論は、グレートパニックの間中バーナンキの頭の中心を占めていた。金融危機を前にしてこれと同様の臆病さや独りよがりを示したと未来の学者に断罪されるような行動はとるまいと、彼は固く決意していた。彼が論文集で述べているように、「大恐慌を理解することはマクロ経済学の見果てぬ夢だ」。その見果て夢が彼の職業生活全体を通じて前進の原動力になってきたのである。

 なるほどなあ。こうした学識と強い意思のある人が次の日銀総裁であってほしいなあ。
 そのバーナンキ大恐慌の分析で学んだことのひとつ...

 1930年代のFRBの失策の分析において、バーナンキFRBが信用のアベイラビリティ(利用可能性)の目安となる金利を読み違えたことにも言及している。パニックのときや見通しが不確実なときは、銀行家や投資家は最も安全な証券、とりわけアメリカ国債に一斉に逃げ込む。そのため、国債の利回り、つまり財務相が借り入れに対して支払わなければならない金利は低下する。この変化は通常FRBにとって重要な目安になる。だが、もっと重要なのは、消費者や企業が借り入れに対してーー借りられるとすればだがーー支払わなければならない金利である。財務相が超安全な借り入れに対して支払う金利と普通の借り手が支払う金利の差、すなわち「スプレッド」が拡大したら、その場合はそれが金融逼迫のはるかに重要な目安になるのである。

 そういう指標も見ていたのか。
 バーナンキが2002年11月にワシントンで行った有名な「デフレーションーーアメリでそれが起きないようにするには」と題した講演のエピソード...

 この講演は、デフレを防ぐためにFRBがとりうる方法をすべて説明したもので、ごく当たり前の教科書的な話から、金利がこれ以上下げられないレベルまで低下したときFRBがとりうる革新的な方法まで含んでいた(2008年に似通った状況が生れたとき、この講演はあらためて注目され、精査された。バーナンキがどのような措置を検討するかを知るためのきわめて有益な手引きだったからだ)。
 バーナンキがこの講演で安心感を与えようとしたことは明らかだ。だが、それに対する反応は、大学教授の講義とFRB理事の口から出た言葉の違いを浮き彫りにした。バーナンキが主張したのは、FRB金利をゼロまで引き下げたとしても(当時は想像もできないことだった)、FRBの弾薬が尽きるわけではないということだった。もちろん、金利をゼロよりも下に引き下げることはできないが、経済にマネーを注入することによって信用の供給量を増やすことはできるということだった。政府が減税を行うとか、政府支出を増やすといった方法もあるし、政府が国債を発行し、FRBが紙幣を増刷してそれを買い取るという方法もある、と彼は説明した。そして、これは「ミルトン・フリードマンの有名な『ヘリコプター・マネー』と本質的に同じ政策だ」と述べた(フリードマンは1969年に、この言葉を使って不況やデフレは回避できると主張した。他に有効な策がない場合は、FRBは人びとにカネを使わせるためにヘリコプターから紙幣をばらまけばいいと言ったのだ)。

 「ヘリコプター・マネー」の話は日本でも話題になったが、この話、バーナンキが言い出したのかと思ったら、元はフリードマンだったのだ。知らなかった。で、実際、2008年以降、デフレ回避のためにバーナンキは「ヘリコプター・マネー」政策をとるんだけど。実際に、ヘリコプターからカネを撒いたわけじゃないけど。
 バーナンキは、安倍政権が誕生してから話題の「インフレ・ターゲット」論の主唱者でもあった。善人のグリーンスパン議長の時も、FRB内部の指標として2%のインフレ・ターゲットが検討されたことがあるという。バーナンキは議長として導入に向けての議論を始めたという。
 当初の目的は...

インフレ・ターゲット政策は、1970年代のような激しいインフレを防ぐことをめざすもので、人びとのインフレ予想の重要性に関する学者の識見を生かそうとするものである。

 ということで、インフレ抑制が主眼だった。しかし、リーマン・ショックなどの金融危機の後、デフレ懸念が出てくると、目的も変わってくる。

景気後退が深刻化し、インフレ率がFRBの望ましいと思う水準を割り込むようになると、インフレ・ターゲットの議論が再び登場してきた。「FRBはインフレ率を一定水準以下にはさせない。物価や賃金が下落し、借り手の債務返済がより厳しくなる破滅的なデフレに経済を陥らせはしない」と、人びとを安心させる手段としてインフレ・ターゲットを使うという主張が唱えられるようになったのだ。

 日銀は、インフレ・ターゲット論議の際に、世界ではインフレ抑制のための政策みたいな説明を指定たが、金融危機後の世界では、安倍首相が言うようにデフレ対策の金融政策となっている。
 バーナンキは合議を重視する人だったという。しかし、危機のなかで変わったという。そうした中からの中央銀行のトップの資質について

 委員たちの合意を重んじる姿勢はバーナンキに協調性で高得点をもたらしたが、グレートパニックが進行するにつれて、いくつかの問題点が明らかになった。迅速かつ断固たる対応が必要な進行の速い危機では、委員会が合意に達するのを待つというやり方は正しくないことがある。そのような危機では、市場や人びとは明快さを歓迎する。そして明快さは、他の委員が自分より大声でしゃべることをFRB議長が許していたのでは絶対に得られない。おまけに、合意が形成されるのを待っていても建設的な結果が得られるとは限らない。セントラル・バンカーは、どれほど知力を駆使しても、どれほど多面的な力を持っていても、自国の経済をひどく読み違えることがる。そのようなミスを犯さないセントラル・バンカーを見つけるほうが望ましいのではあるが、現実には、自分のミスを認めて進路を変えるセントラル・バンカーを見つけるのが、どの国においても望みうる最高の形かもしれない。

 バーナンキはそうであったわけだが、日本は...。含蓄のある言葉だなあ。ミスを認めないことに一生懸命のような...。
 一方、長期国債の買い取りをめぐって

 長期国債の買い取りはバーナンキが以前は難色を示していた措置だったが、状況が変わっていたのである。実体経済も銀行システムも依然としてもがいているなかで、財務省の巨額の借金のために長期国債の利回りが上がり始めていたのである。長期国債の利回りは回りまわって企業や消費者の借入金利に影響を及ぼすため、これは望ましくない展開だった。おまけに、議会には支援の提供を急ぐ姿勢はほとんど見られなかった。それどころか、銀行に対するFRB財務省の支援に、バーナンキガイトナーに言わせれば逆効果になる条件を押し付けて、追加の資金を承認することにはまったく関心を示さなかったのだ。バーナンキは「60ミニッツ」でいみじくもこう語った。「最大のリスクはわれわれが政治的意思を持たないこと、この問題に解決するぞという決意を持たないこと、何もせずに問題を放置しておくことだ。そのような場合には回復を期待することはできない」。

 うーん。またも日銀総裁と比べてしまうなあ。その覚悟の差を。
 そして、もう一つ、ゼロ金利下の金融政策について、FRBは1990年代から研究していたという。そしてバーナンキは「使い慣れた政策金利がゼロに押し下げられたとしても、中央銀行には決して弾薬がなくなるわけではありません」と今でも確信しているという。伝統的な金融政策が限界に来たとき、もう自分たちにできることはありませんというのか、それでも、何か方法があるのではないかと取り組むのか。その差は大きいなあ。
 というわけで、今の日本とも重なって、中央銀行トップの資質を知る上で面白い本でした。