フランク・ブレイディー『完全なるチェス−−天才ボビー・フィッシャーの生涯』

完全なるチェス―天才ボビー・フィッシャーの生涯

完全なるチェス―天才ボビー・フィッシャーの生涯

 チェスの世界に燦然と輝く栄光と同時に、奇行や暴言でも世界の注目を浴びた天才、ボビー・フィッシャーの伝記。筆者自身、チェスの世界の人で、フィッシャーが子供の頃から交流があったうえ、取材のほうもFBIやKGBの資料にまであたる徹底ぶりで、ボビー・フィッシャー伝の決定版といえそうな1作。面白い!。だけど、読んでいて、つらくなるところも多い。単純なアメリカン・ドリームではなく、アメリカの悲劇でもあるから。
 ボビー・フィッシャーの印象といえば、こんな感じ。冷戦下、ソ連を破ってチェスの世界チャンピオンとなり、米国のヒーローとして人気を集めながら、その王座を投げ出して、20年にわたって姿を消してしまう。みんなが忘れかけたところ、突然、カムバック。しかし、それも束の間、米国のヒーローだったはずが、いつの間にか祖国・米国に追われる身となり、再び失踪。そして次に登場したのは何と日本で、成田空港から出国しようとしたときに逮捕される。米国に送還されるかどうかが焦点になるが、アイスランドがフィッシャーを引き取ることになり、解放され、そしてアイスランドで亡くなる。こうした断片的な知識はあったのだが、なぜ失踪し、なぜ米国に追われ、なぜ日本にいて、なぜアイスランドが身柄を引き受けたのか、この本を読んで、その事情がわかった。
アマデウス ディレクターズカット [Blu-ray] 巻末に将棋の羽生善治が解説を書いているのだが、そのなかでフィッシャーを「モーツァルト」と評している。羽生は、日本でフィッシャーが逮捕されたときに、当時の小泉首相にフィッシャーの解放を嘆願しているが、そのときも、フィッシャーを「モーツァルト」と表現していた。そして、この解説を読むと、モーツァルトと呼ぶ理由は、神童、創造性というプラス面だけなく、その一方にあった人間としてのダメさ加減にあるという。「アマデウス」なんだなあ。
 この本では、フィッシャーがチェスの世界で見せた天才としての側面と同時に、カネに対する執着、反ソ感情、自らにもユダヤ人の血が流れていながらの反ユダヤ主義、反米主義、尊大さ、傲慢さ、倫理観の欠如なども描かれる。フィシャーのダークサイドをもたらした背景にあったのは、強烈な猜疑心かもしれない。シングルマザーの家庭で、極貧のなかで育てられ、それがカネに対する細かさになっていったのかもしれないが、ただカネを欲しいのならば、もっと上手に(ずるく)立ち回る方法もあった。そうすれば簡単なのに、そうしない。カネが欲しい以上に、誰かに騙されているのではないかという意識が強い。猜疑心の塊で、それが反ソ、反ユダヤ、反米と続く陰謀史観に走らせている面につながっっているように思える。
 「完全なるチェス」というのは、うまい邦題で(原題は『ENDGAME』)、フィッシャーは「完全なるチェス」を生涯、追求する一方で、すべてに「完全」を求めたのかもしれない。チェスと同じような完全な論理を。それだけに、何かうまくいかないことがあると、「ソ連の陰謀」であり、「ユダヤの陰謀」であり、「米国の陰謀」でありに、物事の裏側に理由を求めようとしたのかもしれない。新興宗教に走ったこともあるというが、そこに完全な解があるわけでもなく、それもやすらぎを与えてくれなかった。
 小さい頃からチェス三昧で、満足に学校にも行かなかったが、チェスだけにしか興味がなかったわけではなく、読書が趣味で、いろいろな本を読んでいたという。差別の塊のようなトンデモ本に傾倒したりもしているが、古典も読み、教養があったらしい。ただ、ヒトラーなどと同じように、小説は読まない人だったのだろうか*1。理論を求める読書で、感性を豊かにする本の読み方ではなかったのかもしれない。
 こうした偏屈な天才になったことについて、親の育て方に問題があったのではないかと、母親に毀誉褒貶があるようだが、この本を読むと、かなり個性的な人のようだが、貧しいなかでも教育熱心な人であり、子供に干渉するとはいっても、一般の親とそれほど変わっているわけでもない。姉は普通に育っている。
ビューティフル・マインド [DVD] なぜ、こうした人物になったのか−−当時の冷戦という時代もあったのかもしれない。「ビューティフル・マインド」を思い出してしまうのだが、チェスが米ソ対決の舞台となったことで、今ではちょっと想像できないプレッシャーがあったのかもしれない。それが天才たちの神経を傷めつけたところがあったのかもしれない。世界チャンピオンになったあと、失踪した理由の一つが、ソ連に(KGBに)生命を狙われているのではないかと思っていたことも、ひとつの理由だという。
 また、読んでいて意外だったのは、フィッシャーが全米チャンピオンになりながら、チェスでなかかな生活できなかったこと。賞金も大した額ではなく、米国でプロがチェスの競技だけで生きていける環境がなかったらしい。ソ連の場合は、チェスプレイヤーは社会主義の宣伝塔のような役割を果たしていたので、国がすべて面倒をみていてくれていたという。米国では「冷戦の闘士」ともてはやされても、言葉だけで、経済的には苦しかったらしい。加えて、ユダヤ人社会が支援していたのは別の人物で、熱心なユダヤ教徒ではなかったフィッシャーは対象外だったという。そうしたトラウマが反ユダヤ的な思想を持つ遠因だったらしい。
 ともあれ、冷戦の時代ではなく、ゲームが巨大・エンターテインメント・ビジネスになった現代に生まれていたら、全く違う人格が形成されていたのかもしれない。あるいは、「完全」を求め続ける限り、やはり社会には適応できなかっただろうか。
 最後に、アイスランドがフィッシャーを受け入れたのは、フィッシャーが歴史的なチェス世界選手権の米ソ決戦の舞台としてアイスランドンを選んだからだという。そして、その米ソ決戦で敗れたソ連の世界チャンピオン、ボリス・スパスキーはフィッシャーを弟のように思い、最後まで親交があったという。フィッシャーが抱えていた思いも、その才能も理解していたのは、ソ連を背負って戦い、敗れ、そして後に祖国を捨ててフランスに亡命したスパスキーだけだったのかもしれない。
ボビー・フィッシャーを探して [DVD]

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※ こんな映画もありました。この本でも、この映画に関するエピソードがちょっと出てきます