ロベール・ボワイエ『ユーロ危機−−欧州統合の歴史と政策』

ユーロ危機 〔欧州統合の歴史と政策〕

ユーロ危機 〔欧州統合の歴史と政策〕

 このところ、ユーロに興味を持って、本をあたっていたのだが、これは参考になった。いま起きている問題だけに目を囚われることなく、欧州統合の歴史、その政策のよって立つ基盤にまで遡り、ユーロが抱える本質的な問題と今後を展望する。そして、出てくる結論は「ユーロ危機」は続くということであり、そうした結論に至る分析も納得できる。
 興味深かったのは、ユーロに参加しなかったスウェーデンの検討結果。そのリストを見ると、スウェーデンがリスクとして危惧していたことが現実に起きてしまっている。EUのメンバーでありながら、通貨統合には参加しなかったスウェーデンデンマーク、英国の危惧は正しかったわけだ。そして、ギリシャ、スペイン、アイルランドの公的債務問題以前に、なぜ、そうした公的債務問題が発生することになったのか、そこにユーロの構造問題を見ていることも新鮮だった。南欧は財政にルーズといった話ではなく、南北欧州の経済構造の問題を見ている。ユーロ高となり、欧州景気が話題になった、まさに、そのときに、そうしたユーロ通貨圏の各国が持つ構造の矛盾が拡大していたという筆者の指摘がわかりやすく解説されている。
 目次で内容を見ると...

第1章 ユーロ圏危機の無視された知的起源
第2章 制度的・歴史的分析こそが今日のユーロ圏危機を予想しえた
第3章 民主主義社会におけるユーロの政治的正統性に対する優雅な無視
第4章 ユーロ圏危機の発生と展開における金融グローバリゼーションの役割
第5章 欧州理事会は何度も開かれたのに、なぜユーロの信認を回復できなかったのか
第6章 ユーロの終焉か、ヨーロッパ合衆国か
結 論
(解説談話)ユーロ危機の現状と日本へのメッセージ

 この最後の「解説談話」が、本の内容をまとめて、わかりやすく説明してくれている。本文よりも、こちらのほうが理解が容易。忙しい人は、ここだけ読めばいいんじゃないかと思う。
 で、興味深かったところをいくつか抜書きすると...
 ユーロ危機をもたらしたものは一つの原因でなくて、3つのプロセスが作用し合ったシステミック危機だというのだが、そのひとつは...

 まず第一に、新しい古典派のマクロ経済学が勝利をおさめ、市場経済は構造的に安定しており、貨幣は中立的であり、金融市場は効率的であるという信念が流布した。こうして、ユーロのもとでは、ショックは非対称的というより対照的なものとなり、民間および公共のアクターたちはユーロにうまく対処していくだろうとされた。ユーロをどう評価するかにかかわった専門家たちは、何らかのポリシーミックス体制の持続性についてのティンバーゲンの初歩的な教え、経済地理学の分析、ケインズ経済学の革新的真実、欧州各国資本主義よび調整様式の異質性がもたらす帰結を、徹底的に無視したのであった。

 経済学は世の中をどのような視点でとらえるのか、その枠組みを提供してくれるのだが、その枠組を間違えば、現実認識も、その上にできた制度も脆いものになってしまう。ユーロの場合、新古典派的な経済学思想の中で、金融政策も財政政策も、もはや不要だと...。ケインズは「危機の経済学」というが、そうした危機を重視しない経済学の上にたった通貨制度だったのだなあ。だから、不確実性に弱いのかも。
 「3つのプロセス」とは、こうした経済学上の社会認識の問題に加え、いまや各国の政治プロセスの問題、そして金融イノベーションとグローバリゼーションの影響が指摘されている。
 で、ドイツ、フィンランドギリシャキプロス、スペイン、イタリアなど、ここへきての欧州の南北対立のもとにもなっているドイツの思想について...

 相次ぐ欧州条約の起草においてドイツ人は知的政治主導権を握ってきた。かれらは、新しい通貨がドイツ的原理に従って運営されるかぎりでのみ、ドイツ・マルクの放棄を受け入れたからである。ドイツ的原理とは、何があっても公然たるインフレを防ぐこと、いかなる財政赤字マネタイゼーション中央銀行国債引受けによる財政赤字の解消)をも禁止すること、ある国を他国が救済援助してはならないことである。全面的な連邦主義に到達することはできないが、それでもなおドイツは、かれらのオルド自由主義を一部移植しようと考えた。一人ひとりが条約で合意されたすべての規則を遵守するときにのみ、ユーロはその役割を果たすことだろうと、と。ここに劇的な誤解が発生する。すなわち、ユーロ圏の他の多くの加盟国にとっては、条約の各種条項は交渉の出発点であって、至上命令ではないのであった。

 ドイツ人らしいなあ。これが南北対立が根深いものにしていく...

合意した条項を遵守するということは、それについて議論したり自由に修正したりできない道徳上の問題なのである。北部ヨーロッパの諸社会ではこうした見方が広く普及しているが、南部ではそれほどではなく、こうした文化的/法的分断がユーロ救済プランをまことに困難なものにしつづけている。ドイツの世論にとっては、嘘をついてきた政府には好成績の政府に援助を乞う資格などないのである。救済援助がなくてやがて崩壊すれば、好成績の経済にもさまざまな−−そして時には重大な−−損失が降りかかるかもしれないが、しかしそれは、将来的にゲームのルールを尊重させるために払わなければならない代償なのだ。

 うーん。北と南とでは、法に対する考え方が違う...。ドイツの民意が救済に否定的なのは、損得の問題もあるだろうけど、それ以上に、理念・思想・倫理の問題なんだろうなあ。おまけに、ユーロ加盟について、北は「ルールに基づく欧州統合」と考え、南は「近代化と民主主義にアクセスする手段」として位置づける。ここにもまた同床異夢がある。
 読んでいると、ユーロの様々な構造問題が浮かび上がる。それはスウェーデンの検討結果にも見られるように、ユーロ以前から存在し、指摘されてもいたのだが、ユーロ推進派は、欧州統一という大義やら、東西統一し巨大化したドイツを欧州の枠内に抑制するという政治的目的やら、フランスの威信の確保やらが先行して、故意にか、無意識にか、あるいは政治優先で経済学に無知なためか、ユーロのデメリットを無視してきたことがわかる。ただ、問題が白日のもとにさらされた今、ユーロの存続というのは、なかなかの難題だなあ。何らかの新しい枠組みをつくるにせよ、分裂なり解体なりの道を歩むにせよ、これから、まだまだ荒れそうだな...。そう思わせる1冊でした。
 経済学の論理で考えると、ユーロは解体なり、分裂に向かっていきそう。ただ、筆者はフランス人で、北と南もわかる国として、ユーロ統合の接着剤としての役割を期待している。その希望にしても、"冷徹"なグローバル金融は、フランスも「FISH」とか言って、南の方に分類し出しているから、これもまた厳しそうだなあ。
 ともあれ、欧州の南北対立を含め、ユーロ危機の構造を理解するのに最適の1冊です。
 で、この著者、ロベール・ボワイエ、この本も昔、読みましたが、面白い本でした。

資本主義vs資本主義―制度・変容・多様性

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