ケネス・スラウェンスキー『サリンジャー−−生涯91年の真実』
- 作者: ケネス・スラウェンスキー,田中啓史
- 出版社/メーカー: 晶文社
- 発売日: 2013/08/01
- メディア: 単行本
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この本によると、ノルマンディー上陸からシェルブール解放までの1カ月足らずの間に、3080人いたサリンジャーが所属した連隊のうちの生存者は1130人だったという。生き残ったのは、ほぼ3人に1人...。パリ解放では、対独協力者の摘発にあたったが、ここでは、自分が逮捕した人間が群衆によって奪われ、撲殺されるのをなすすべもなく見ていたという話も出てくる。また、米軍が無謀な作戦によって多大の犠牲者を出したといわれるヒュルトゲンの森の激戦では、森に入ったときは3080人いた連隊のうち、生き残ったのは563人だったという。戦友の多くを失い、生き残ったのが不思議とも思える。サリンジャーは宿命論者になったというが、それも頷ける。
戦争の悲劇は、戦闘体験だけではなかった。戦前、父の仕事を手伝うということで、ウィーンに滞在した際、世話になったユダヤ人一家は、初恋の少女を含めて全員、強制収容所に消えていたという。戦後すぐに、サリンジャーはウィーンに訪ね、その事実を知ったというから、完全に打ちのめされてしまっただろうことは想像に難くない。戦後まもなく、サリンジャーはPTSDに悩み、治療を受けていたこともあるという。そうした過去を持つ人が『ライ麦畑でつかまえて/キャッチャー・イン・ザ・ライ』を書いたのだな。あの作品の背後に、そんなに凄まじい人生があったとは考えてもいなかった。
筆者は、こう書く。
J・D・サリンジャーにとって、『キャッチャー・イン・ザ・ライ』を書くことは清めの行為だった。その行為をつうじて、終戦いらい背負ってきた重荷をおろすことができた。戦争という闇や死に満ちた恐ろしい出来事に脅かされ、粉砕されたサリンジャーの信条は、弟の死によってもたらされたホールデンの信条の喪失に反映されている。戦死した友人の記憶が何年もサリンジャーにつきまとったように、アリーの亡霊がホールデンにつきまとった。(略)
ホールデン・コールフィールドの苦闘は、作者の精神の旅路を反映している。作者と作中人物の双方において、悲劇はおなじ、無垢な心の破壊だった。それにたいするホールデンの反応は彼がおとなのインチキや妥協を軽蔑することで示される。サリンジャーの反応は一個人としての失望であり、それをとおして彼の目は人間性の暗い力に開かれていた。
しかし、双方とも背負う重荷を受け入れ、悟りにいたるところはおなじだった。ホールデンが、インチキにならず、自分の認めるものを犠牲にせず、おとなになれることを理解するようになるのと同様、サリンジャーも、邪悪を知ることが身の破滅につながるものではないことを、認めるようになったのだ。
なるほど。もう一度、読んでみようかな。前とは違う印象を持つのかもしれない。
また、サリンジャーは戦争中の悲惨な体験をあまり書かなかったが、ウィーンの物語は「思い出の少女」、自分たちは何のために戦い、友は死んでいったのか、という思いは「ブルー・メロディ」という短編小説に表現されているらしい。こちらも読んでみようか。
サリンジャーはその後、隠遁してしまうが、その背景には、過去の出版をめぐる編集者不信、戦争も関係したであろう人間不信があるのではないかと思われるのだが、それに加えて、トム・ウルフやジョージ・プリンプトンらニュージャーナリズム勢のセンセーショナルな偶像破壊の標的になったこともあるようだ。ウルフもプリンプトンも好きなノンフィクション作家だが、記者・編集者時代には、売るためにアコギな商売をやっていたんだなあ。サリンジャーには「インチキ」に見えたのかもしれないなあ。
最後に、これも知っている人は知っているんだろうけど、「フィールド・オブ・ドリームス」で、ジェームズ・アール・ジョーンズが演じていた世間から姿を隠した有名作家というのは、サリンジャーだったんだ。W・P・キンセラの原作「シューレス・ジョー」では、実名のサリンジャーで出てくるという。映画は、サリンジャーとのトラブルを嫌ったのかな。確かに、そう聞くと、あれはサリンジャーだ。シューレス・ジョーも、サリンジャーも米国のレジェンドなんだなあ。
ともあれ、かなり分厚いけど、評判通り刺激的なサリンジャー伝でした。