石郷岡建『ユーラシアの地政学』

ユーラシアの地政学―ソ連崩壊後のロシア・中央アジア (新世界事情)

ユーラシアの地政学―ソ連崩壊後のロシア・中央アジア (新世界事情)

 ウクライナ問題の勉強の続き。副題に「ソ連崩壊後のロシア・中央アジア」とあるように、ソ連圏崩壊後の旧・ソ連構成地域をめぐるロシアの話。2004年の本なので、911以後の対テロ対策でプーチン親米派とみられ、米ロ蜜月時代の話。2006年のアンナ・ポリトコフスカヤの暗殺も、2008年のロシアとグルジアが軍事衝突した南オセチア紛争も起きていなかった当時のロシア復活の期待の星だったプーチンが描かれている。チェチェンもロシアの軍事制圧に理解を示している。しかし、ロシアの歴史と風土、そしてソ連崩壊後のユーラシアをめぐる欧米・中国の行動などに関する分析は興味深いし、今にも続く問題を含んでいる。
 目次で内容を見ると...

はじめに ユーラシアについて
第1章 イスラム原理主義の嵐
第2章 ユーラシアをめぐる米中露の確執
第3章 いくつもの中央アジア
第4章 どこへ向かうロシア
第5章 ソ連はなぜ崩壊したのか
第6章 石油・天然ガスをめぐる地政学
おわりに 日本とユーラシア

 この第4章で、ウクライナについて語られている。まずクリミア問題...
 「クリミア半島は中世から近代にかけては、モンゴルやオスマン・トルコの影響下にあった」が、「オスマン・トルコが衰弱し始めた18世紀になり(いわゆる「東方問題」の出現で)、ロシアは南下政策を推進し、幾度かの露土戦争を経て、18世紀末、クリミアを完全にロシア領とした」という。
 で、現在の問題を生み出したのはフルシチョフ。「ソ連時代の1954年、当時のフルシチョフ共産党第一書記が、「ロシア人民のウクライナ人民に対する偉大な兄弟愛と信頼の証拠」として、クリミア半島ウクライナ共和国の行政管理下とする決定を下した」。この問題がソ連崩壊後、ウクライナソ連から離脱し、独立国になったことでも大騒動を産んだのだとか。この頃から「ウクライナからのクリミア奪還」が叫ばれていた。一応、領土問題は決着したのだが、火種は残っていたのだな。
 ここまでは最近のテレビや新聞の解説でも、よく語られているのだが、興味深いの、ここに忘れられた人々がいたこと。それが「クリミア・タタール」と呼ばれる少数民族。「チンギス・ハンとともにユーラシア征服に参加したモンゴル部族の一部」で、先住民族といえる。この人々は...

 「クリミア・タタール」は、18世紀まで、モンゴル、オスマン・トルコの勢力下のクリム・ハン国を作っていた。しかし、ロシアの南下が始まり、ロシア帝国の一部に編入され、ロシアの移民が始まると、しだいに、その存在は忘れられるか、無視されるようになった。第二次大戦では、全員、スターリンの命令で、シベリア・中央アジア強制移住となった。チェチェン民族と同じく、対独協力が強制移住の理由である。戦後、名誉回復されたが、クリミアへの帰還は治安・国防上の理由で許されなかった。

 うーん。そして、「クリミア・タタール」の人々も、クリミア半島の独立もしくは民族自治共和国の樹立を夢見ているという。CNNに登場した解説者が、クリミアをロシアが奪還した場合、クリミアもチェチェンなどと同じようにイスラム過激派のテロの舞台となる恐れがあるとしていたが、それは、こんな過酷な歴史的背景があるのだな。確かにクリミアは200年、ロシアの領土だったかもしれないが、もっと長い目で見た場合、この土地が誰のものか、という問題は難しい。今回の問題について、中国は何も発言しないだろうなあ。中国は新疆ウイグル自治区問題を抱えているわけだし...。
 一方、ウクライナ西部では、反ロ感情が強いという。西部のリヴォフの場合...

 ロシアの原初的国家「キエフ・ルーシ」から派生した「ガーリチ・ヴォルイニ公国」時代の13世紀に、リヴォフの町は建設された。その後ポーランドリトアニア大公国の領地となり、さらに近世になっては、オーストリアハプスブルク帝国の領土となった。この間、モスクワの支配下に入ったことは一度もなく、第二次大戦中にソ連編入され、初めてモスクワの支配下に入った。

 そして、こんな話も...

 ソ連崩壊後は、ウクライナが独立し、町の名前はリヴォフ(ロシア語)からリヴィフ(ウクライナ語)へと変わった。歴史的には、ルヴフ(ポーランド語)、レンベルク(ドイツ語)とも呼ばれた。町の名前の変遷をたどると、この町を支配してきたロシア、ポーランドオーストリアウクライナの4つの影が浮かんでくる。

 複雑だし、悲しい歴史を抱えているのだな。そして、西側はヨーロッパに帰属意識を持っているのだなあ。
消えた国 追われた人々――東プロシアの旅 この本では、ウクライナとともにカーリングラードについても語られている。ポーランドリトアニアに挟まれたロシアの飛び地。かつての東プロシア。ここなども本当は欧州への帰属意識が強いのだろうなあ。クリミアでロシアは住民投票によって国家の帰属を決めようとしているが、この方式、諸刃の剣ではないのだろうか。カーリングラードが自分たちも住民投票で帰属を決めさせろ、といったら、どうするのだろう。カーリングラードは州で、クリミアのような自治共和国ではないから、違うというのだろうか。民族主義ナショナリズムを政治の道具にすることはロシアにとって危険なことのようにも思えるが...。
ロシア・拡大EU (世界政治叢書) さらに、もうひとつ、モルドヴァにあるブリドニエストル共和国(沿ドニエストル共和国)の例も興味深い。国際的には、モルドヴァ領とされているが、分離独立状態にある地域。モルドヴァルーマニア系民族が多数派で、ルーマニアとの統合論もあるが、この地域は、ロシア、ウクライナ系が多く、ロシアの軍事基地もある。『ロシア・拡大EU』を読むと、ロシアはEU・NATOに入ろうとする国があると、分離独立派を支援して、加入を阻むというが、これもその一つなのだな。ルーマニアは既にEU・NATOの一員になっている。この共和国は、ウクライナモルドヴァの間にある。これまた複雑な問題だなあ。
 ソ連そのものが矛盾を抱えた多民族国家だったわけだが、ロシアが大ロシアを目指すと、その火種が再び、燃え出すのだなあ。欧米も自分たちの影響力を拡大するために、それを利用しようとすることもあるから、さらに複雑なのかも。ソ連は過剰防衛の気味があったが、これはロシアも変わらないのかもしれない。こんな分析が紹介されている。

 ソ連時代のモスクワ特派員だった読売新聞の森本良男氏は、この過剰な安全保障意識を指摘しながら、
 (1)土地こそ富と力の源泉であるという「領土崇拝」
 (2)絶えず外敵に囲まれるという「包囲恐怖症」
 (3)スラヴ民族とロシア正教が世界を救うという「メシア(救世主)思想」
 を、ソ連国家の特質だと説明している。

 筆者は、これをソ連というよりもロシアの特質なのもしれないとしているが、今の状況を見ると、納得だなあ。
 一方で、米国はこんな政策をとった時代もあった。

 米国は、クリントン政権当時、ロシアを二度とソ連のような軍事超大国にしない国家戦略を最大目標に置いた。
 その目標は、
 (1)バルト三国を欧州に統合させる
 (2)ウクライナとロシアを分離させる
 (3)カフカス中央アジアをロシア依存から脱却させる
−−の3つで、西から南へロシアを取り巻く国々をひとつひとつ取りはがし、ロシアの拡大・膨張の根をとることにあった。

 そして、クリントン戦略に影響力を発揮したブレジンスキーの、こんな見立てを紹介している。

 ブレジンスキー氏は、ユーラシア大陸を「地政学的なチェス盤」に見たて、そのチェス盤での主要プレイヤーは米、仏、独、露、中、インドの六カ国であると主張した。英、日、インドネシアは、その能力を秘める重要国ではあるが、チェスには参加しないと分析した。
 ブレジンスキー氏によれば、このほか、ユーラシアのチェス盤には、地政上の「要衝」と呼ばれる国・地域が五つあり、ウクライナアゼルバイジャン、トルコ、イラン、韓国を上げた。
 さらに、カザフスタンウズベキスタンパキスタン、台湾、タイの五カ国も、地政上、「要衝」に次ぐ重要国・地域である「準要衝国」とした。

ブレジンスキーの世界はこう動く―21世紀の地政戦略ゲーム うーん。プーチンKGB出身だから、こうした米国の戦略には敏感だったろうし、どこが天王山となるのかは認識しているのだろうな。そして、それが、もともとのロシア人としての過剰防衛体質に火をつけてしまったのかもしれない。ウクライナは、ウクライナに住む人々の気持ちを超えた場所になってしまっているのかもしれないなあ。どういう形で収拾するのか。仲介役を期待されているドイツのメルケル首相が、プーチンオバマそれぞのメンツが立つ形で収める方法を打ち出せるかだなあ。一方で、分離独立をもてあそぶロシアの外交戦術をやめるようにさせないと、ロシアの思惑を超えて飛び火してしまうこともあるんじゃなかろうか。
 この本を読んでいると、ロシアが北方領土を返すなどということがあるのだろうかと思えてしまう。戦争でとった土地は北方領土だけでない国だし...。あるいは、返すとしたら、何を考えてか。とんでもない見返りを求めるのか、あるいは、日米同盟に楔を打ち込む狙いか...。そんなこともいろいろと考えてしまう。
 10年前に書かれた本だが、歴史を知ることは今を考える上で役に立ちます。