村山治「特捜検察vs.金融権力」

特捜検察vs.金融権力

特捜検察vs.金融権力

検証 経済迷走―なぜ危機が続くのか 検証経済失政―誰が、何を、なぜ間違えたか バブル崩壊から危機と改革を経て、ようやく「日はまた昇る」というところまで来た日本経済。90年代以降、いろいろなことがあったが、特に金融業界の変化、大蔵行政の変化はすさまじかった。80年代と同じ形で残っている銀行はひとつもないんじゃないだろうか。日本興業銀行日本長期信用銀行日本債券信用銀行はみな、その名が消えた(破綻した長銀日債銀と興銀は違うけど、バブルの傷という意味では興銀にも「尾上縫事件」があったしなあ)。で、この金融危機の時代を描いた本としては、西野智彦記者の「経済失政」「経済迷走」「経済暗雲」の検証3部作が印象的だけど、あれが大蔵省・日銀から描かれた同時代史ならば、この村山治記者が書いた本は、同じ場面を検察側から見た同時代史。
 1990年から2006年までが描かれるので、駆け足で見ていく感じはするが、面白かった。こんなことが検察と大蔵の間で起きていたのかあ、という話が出てくる。大蔵省も、検察も国益を考えて、日本が抱えている問題を解決していこうとするんだけど、日本が抱える暗部にけじめをつけようとしたときに、自らも「大蔵・日銀接待問題」やら「検察の調査活動費不正利用問題」など暗部を露呈することになる。バブル後は、政治も経済(市場)もシステムの透明性を高めることが課題になったわけだけど、それは日本システムそのものの問題でもあるから、システムの根幹を支える存在ともいえる大蔵も検察も、改革の激流に呑み込まれてしまうことになる。そんな歴史が見えた。
 と同時に、どんな組織でも動かすのは人間だから、この本は組織と個人の物語でもある。一番、印象的なのは検察同期の原田(法務省系で、のちの検事総長)、石川(大蔵汚職を摘発した東京地検特捜部長)のふたり。同期として認め合いながら、途中から、自らの組織(原田は法務省系、石川は特捜部に代表される現場系)の代表として、対立の構図に身を置くことになる。しかも、捜査をめぐる小さな齟齬の積み重ねが不信へと発展していく。このあたりは人間ドラマだなあ。
 最後の検察と金融庁財務省国税庁)の“和解”は、ふたつの権力が再び一体化するわけで、ちょっと怖い感じで、ハッピーエンドとも思えない気もするけど、ともあれ、新しい日本の公益とは何かを考えなければならない時代なんだなあ、その公益を守るためのシステムはどうあるべきなんだろうかというようなことを考えさせて終わる本だった。