Tout comprendre, c'est tout pardonner.

 昔、学校のフランス語の授業で習って、妙に頭に残っている言葉。すべてを理解することは、すべてを許すことである−−という意味なのだが、含蓄のある言葉だと思った。理解するには、自分の価値観、現代の価値観、固定観念から解放されて考える必要がある。そうした意味で使われていると考えて合っているのかどうか、わからないが、そういう風に理解した。「良い」とか「悪い」とか、「好き」とか「嫌い」とかいったところから一度、離れて、物事を見てみないと、理解はできない。物事を肯定するか、否定するかは、その理解の後での判断なのだろう。いまのように、地域的にも、世代的にも、いろいろな価値観が交錯する時代には、こうした考え方が必要なのだろうなあ。ということで、随分前に習った、この言葉がときどき頭の中によみがえる。