レイモンド・チャンドラー「ロング・グッドバイ」

ロング・グッドバイ

ロング・グッドバイ

 村上春樹の翻訳。「グレート・ギャツビー」は、スコット・フィッツジェラルド村上春樹の共作というか、村上春樹の「ギャツビー」という感じだったが、これはレイモンド・チャンドラーといった感じだった。それだけ、チャンドラーの個性が強いと言うことだろうか。饒舌で自意識過剰で、ハードボイルドなフィリップ・マーロウの物語。息をもつかせず、読ませる。本編も面白いが、村上春樹による「訳者あとがきーー準古典小説としての『ロング・グッドバイ』」が秀逸。「グレート・ギャツビー」との共通性に関する指摘を読むと、なぜ、村上春樹が「ロング・グッドバイ」を訳すのかがわかる。語り口という面もあるが、無垢と崩壊の感覚もまた共通している。そして、この崩壊の感覚は、バブル崩壊を通過した日本にはとりわけ近しい。1920年代のバブル、30年代の恐慌、そして2度の世界大戦による大量殺人を経験した米国は、フィッツジェラルドとチャンドラーの文学を残した。80年代のバブルと90年代の失われた時代は、日本に何を残したのだろう。少なくとも、この二人の文学をより深く理解し、感じることはできるようにしたのだろうか。だから、2000年代に村上春樹がこれを訳す現代的な意義は大きいし、そこが時代に敏感な村上ならではの仕事なのだろうか。