戦前の日銀総裁空席も派閥抗争だった

 戦前には日銀総裁が空席になる事態があった。在任中の病死のためかと思っていたら、空席になった、もうひとつの理由は派閥抗争だった。今日の日経朝刊に、そのあたりの経緯が書いてあった。

 1887年、初代の吉原重俊総裁が急逝したが、後任が決まらず、2カ月後にようやく富田鉄之助副総裁が昇格した前例がある。藩閥政治の真っただ中、薩摩出身の松方正義蔵相が自派閥の人物を推し、伊藤博文首相ら長州閥との調整がつかなくなったからだとされる。
・宮本明彦「日銀総裁空席(上)政治の非力が招いた罪」
 日本経済新聞2008年3月20日

 明治の頃から変わっていないんだなあ。で、これをどうやって解決したかと言うと・・・

 「日本銀行職場百年」によれば、松方が窮余の一策として白羽の矢を立てたのは勝海舟だった。勝は取り合わず、富田を推薦した。この事実を知ってか知らでか、松方から昇格打診を受けた富田が相談に行くと、勝は「引き受けようと、断ろうと五十歩百歩である。一身の進退は命に任せるがよい」と説得したという。
・宮本明彦「日銀総裁空席(上)政治の非力が招いた罪」
 日本経済新聞2008年3月20日

 日銀総裁空席問題を解決した調整役は勝海舟だったのかあ。今回は調停できるような大物はいないなあ。現代では、財界人と言うことになるのだろうか。まあ、総裁が急逝したときに副総裁の昇格で埋めるのは順当な話だからなあ。今回は事情ももっと複雑だし、どうやって収めるのだろう。大体、日銀総裁を決める前に、内閣そのものが持つのかという状態だけど。