ラッセル・フリードマン「フランクリン・ルーズベルト伝」

フランクリン・ルーズベルト伝―アメリカを史上最強の国にした大統領

フランクリン・ルーズベルト伝―アメリカを史上最強の国にした大統領

 最近の金融危機を見ていると、1930年の大恐慌のとき、政治はどうだったのか、と思い、連想ゲームのように、フランクリン・ルーズベルトの伝記を読みたくなってしまった。ジャーナリストが書いた伝記だけに、ルーズベルトの長所、短所を含めて書いてある。愛人のことも。1918年、36歳の時に、ルーシー・マーサーという女性と恋愛関係になってエレノア夫人と離婚を話し合ったこと。結局、話し合って、もとのさやに収まる。1944年、ヤルタ会談の後、休養に行った別荘でルーズベルトは急死するのだが、その別荘にマーサーが訪ねていたことも書いている。この間、マーサーは結婚、死別しているのだが、ルーズベルトとの中は切れていなかったという。今だったら、スキャンダルとして書き立てられるだろう。ルーズベルトは複雑な人物だったらしい。
 それはそれとして、ニューディールを含めてルーズベルト大恐慌に対して必要な政策、必要な制度をつくった。先進的なイメージが米国にはあるが、現実には保守の国で、ニューディールの政策も最高裁違憲判決など、難産だったという。ただ、米国の名家の出身で、文武両道に秀でいたエリートが、虐げられた人たちに思いやりを持ったのは、エレノアの社会活動の影響と、もう一つ、それ以上に大きかったのは自分自身が39歳の時に小児麻痺にかかり、足が不自由になったことがある。自分一人では何もできないこと、自分自身の力を超えた理不尽な不幸に襲われることがあることを知ったのだろう。もし小児麻痺にかかっていなければ、ニューディールはなかったのかもしれない。ルーズベルトの側近、ルイス・ハウを引用した、こんな一節がある。

 「突然、彼は病に倒れ、考える以外に何もすることがなかった」とルイス・ハウは記した。「彼の考えは広がり、視野は拡大した。彼は他の人の視点から物事を見始めた。病いにあり、悲嘆にくれ、貧しい生活を送る人々のことを考えた。これまではほとんど気にもとめなかったような多くのことについてつくづくと考えた。病の床に伏しながら、彼は一日一日と大きくなっていったのである。
 病気になる前は、ほとんどのことは彼にとってたやすいことだった。こうなって初めて彼は、自分のせいではないのに無力にして、立場は弱く、他者に依存しなければならないとはどういうことかがわかったのである。

 上流階級の出身だったルーズベルトは、ニューディールの時は「裏切り者」といわれたらしい。
 1929年の株式暴落から大恐慌に至る過程は、現代を思わせるところがある。例えば、

 一九二九年の元旦にルーズベルトが(ニューヨーク州)知事の宣誓をした時、アメリカは同国史上最長の経済ブームにわいていた。一九二〇年代の繁栄は国民全員がそれを享受したわけではなかったが、アメリカ人の多くにとってそれは地上で最も豊かな国の最高の時期と言えるものだったろう。
 工場はフル操業を続けていた。簡単にクレジットで買い物ができたため、分割払いでどんなものでも購入できた。株式市場は空前の高値で賑わっていた。大儲けできると信じたあらゆる職業にたずさわる人々が、借金をしてまでアメリカ企業の株を買った。
 そんな時にことは起こったのである。一九二九年一〇月二四日ーー今日「暗黒の木曜日」として記憶されている日ーーに、ニューヨーク株式取引所の株価が大暴落した。そしてその五日後、株式市場は崩壊した。株主たちはいくらでもよいから所有する株式を売ろうとし、ウォール街はパニックに陥った。

 人間は変わらないなあ。そして、預金保険も、SECも、労働者の権利保護も、この頃に制度化されている。失業者の救済など社会保障の拡充も進めた。しかし・・・

 ルーズベルトに反対する人々は、FDRと彼の側近の急進派は自由企業体制を抑圧し、国を福祉国家に変えようとしている非難した。大統領を批判する人々はビジネスへの政府への介入を糾弾した。彼らは、ニューディール労働組合に力を与え過ぎたと声を大にして叫んだ。また、彼らは政府の緊急救済計画の結果生じた国債の増加(一九三六年に三六〇億ドル)を槍玉にあげたものだ。

 このあたり、マケインのオバマに対する批判と共通している。共和党保守派と民主党リベラルとの対立の構図は変わらない。共和党の経済思想はこんな具合・・・

 フーバー大統領(共和党)と顧問団は政府からの融資で金融機関を援助し、不況を食い止めようとした。そうすれば銀行は事業や企業にお金を貸し、事業や企業は従業員を職場に呼び戻すことができるというわけである。経済の仕組みの一番上にある銀行や企業から、底辺にある沢山の農民や労働者へと、繁栄が“浸透”していくであろうという読みであった。
 フーバーは連邦政府が失業者向けの大規模な救済計画を実施することにはあまり積極的でなかった。救済事業は地方政府と個人の慈善活動の仕事だと彼は言った。中央政府が救済資金を与えたならば、アメリカ国民の独立心を損ない、「自治の根幹に一撃を加える」ことになるだろう。ワシントンからの助けを待つ代わりに、国民は民間団体に加入して自助努力をすべきだとフーバーは主張した。

 マケインーペイリンの思想は根本においてフーバーと変わらないのではないかという気もしてくる。今回の金融危機に対する対応も、これで収まるのかどうか。ドットコム・バブルの時は、不動産(サブプライム)バブルでカバーしたわけだが、今度はその手は通用しないだろう。30年代の歴史をもう一度、振り返って、総括する必要があるんだろうなあ。その意味で、参考になる本だった。