ポール・ランディ「イスラーム」

イスラーム (ネコ・パブリッシングDKブックシリーズ)

イスラーム (ネコ・パブリッシングDKブックシリーズ)

 副題に「この1冊でイスラームのすべてが見える」。その名の通り、イスラムの歴史から文化・芸術、そして1〜2ページで概観されるイスラム国家各国のデータ、年表に至るまで、イスラムのすべてがビジュアルにまとめられている。イスラーム年鑑といった感じの本。
 印象に残った部分を抜き書きすると。
 まずはユダヤ教キリスト教イスラム教は、啓典の根源が唯一の神であるから、類似性があることは驚くべきではないとしたうえで、

 クルアーンと先行する啓典の間には、大きな根本的な差異が1つある。それは、クルアーンが神に“関する”記述ではなく、神の言葉そのものであり、人類に対して、あるいは神の使徒ムハンマドに対して語られている点にある。
 このことを考えると、クルアーンがなぜムスリムにとってきわめて中心的なものであるかがわかる。クルアーンイスラーム社会の礎石であり、憲法であり、人間生活のすべての側面に浸透しているものなのである。クルアーンに従って生きようとすることが神の意志に帰依することであり、理想的な社会とは、クルアーンの教えによって運営される社会とされる。

 なるほど。
 もうひとつ、コミュニケーション、メディアに関する興味深い考え方。ムハンマドは読み書きができず、神から受け取った啓示は弟子たちへと口伝された。それを弟子が筆記して文書に残していくことになるわけだが・・・

 しかし、口頭による伝承のほうが信頼性が高いと考えられていた。当時は、専門の朗唱家たちが、長い複雑な詩を正確に伝承することができたからである。文書には、書き手の書き間違いや捏造の危険が伴うのに対して、数多くの人がテキストを記憶している場合には正確さと信頼性が保証されるとみなされていた。

 当時はまだアラビア語の表記が発展段階にあったということもあるというが、時代によって、コミュニケーション、メディアに対する信頼性が変わるということ。メールと手紙と、どちらが信頼できるかという話につながってくる。
 最後に喜捨の定めについて。

 ザカート(喜捨)の支払いは、中世キリスト教の10分の1税(信者が教会に払う税)がそうであったように、信徒の義務であり、個々人の財産に応じて既定の率で課せられる。シャリーアによれば、農作物の10分の1、貨幣の40分の1(2.5%)である。

 ということは、ざっくり言うと、所得税10%、資産税2.5%ということだろうか。