ケン・オーレッタ『グーグル秘録』

グーグル秘録

グーグル秘録

 創業者コンビのサーゲイ・ブリン(セルゲイ・ブリン)、ラリー・ペイジ、CEOのエリック・シュミットをはじめGoogle(グーグル)の経営幹部、そして対抗するメディア、エンターテインメント、IT系企業の幹部たちを徹底的に取材して書かれた2010年春までのグーグルをめぐる物語。副題に「完全なる破壊」。これは音楽、映画、新聞、出版、広告などのオールド産業の世界を指すのだろう。
 『グーグル秘録』というタイトルは大仰。どこかにあった秘密の記録を発掘したわけでも、グーグルが隠していたわけでもない。原題は『GOOGLED: THE END OF THE WORLD AS WE KHOW IT』。「ググったーー私たちが知っている世界の終焉」とでも訳すのだろうか。「ググった」を「グーグル以後」と上品に言い直すと、こちらのほうが中身を適格に表現している。英語のサブタイトルは、従来型広告の終焉を論じたセルジオジーマンの『The End of Advertising as We Know It 』(邦訳『セルジオジーマンの実践!広告戦略論』)からとったのだろう。ただ、取材が難しいグーグル経営陣への豊富な取材に加え、ジョン・バッテルの『ザ・サーチ』、ニコラス・G・カー『クラウド化する世界』など、この分野の必読書も読み込まれており、『秘録』というだけの内容がある。
 目次で内容を見ると

第1部 別の惑星
 第1章 君たちは魔法をぶち壊しているんだ!
第2部 グーグルの物語
 第2章 ガレージからの出発
 第3章 活気はあれど収入はなし(1999〜2000年)
 第4章 グーグル・ロケット、発射準備(2001〜2002年)
 第5章 無邪気、それとも傲慢?(2002〜2003年)
 第6章 株式公開(2004年)
 第7章 新たな“悪の帝国”か?(2004〜2005年)
第3部 グーグルvs.旧メディア帝国
 第 8章 ユーチューブ買収(2005〜2006年)
 第 9章 戦線拡大(2007年)
 第10章 政府の目を覚ます
 第11章 グーグル思春期に入る
 第12章 “古い”メディアは沈むのか?
 第13章 競争か、協調か
 第14章 ハッピー・バースデイ
第4部 ググられる世界
 第15章 ググられた世紀
 第16章 伝統メディアはどこへいく?
 第17章 これからどうなるのか?

 目次を見れば、わかるように、グーグルだけではなく、グーグルの登場によって激震に見舞われたメディア側も詳細にレポートしている。ただ、メディアも大変だが、グーグル自体の先行きもわからない。天才エンジニア集団としての超効率志向が検索エンジンの世界で圧倒的な競争優位を生み出す一方で、その頭脳の優秀さは世間知らずの「傲慢さ」と表裏一体の危うさもある。現実に政府、社会、他企業との意図せざる軋轢を生み、さらには新規事業開発でも、人間と人間を結びつけるSNSで、Facebookに後れをとる一因になっている。創業に燃えた幼少年期が終わり、グーグルにしても「大企業病」に陥る恐れがある。
 IBMマイクロソフトがそうであったように、この本では、グーグルがいつまでも勝者であり続けるかどうかはわからないとしているが、それ以上に、メディア、エンターテインメント産業の行方については、どれだけ取材しても現時点で答えは見つからないようだった。
 で、印象に残ったところを、いつものように抜書きすると...

 ツキがなければ、グーグルの成功はおぼつかなかった。ペイジがスタンフォード大学の講演で漏らしたように、優れた広告販売モデルを見つけられたのは「おそらく綿密な計画の結果ではなく、偶然だった」。往々にして、成功を左右するのは賢明な戦略でも傑出した行動でもなく、タイミングやひらめき、ツキといったものだ。グーグルはそれを示す格好の例といえるだろう。

 既に「ザ・サーチ」でも書かれているが、「アドワーズ」「アドセンス」などの広告モデルはあとから出てきたもので、事業をスタートした時点ではビジネスモデルはなかったというのは、やっぱり米国は「フィールド・オブ・ドリームス」のように「If you build it, they will come」(創れば、来る)の世界なのだと思う。それでなければ、YouTubeも、Facebookも立ち上がらないだろう。

 コーデスタニは(ブリンとペイジの)“二人が完全に<同期>していること”は、グーグルにとって大きな強みだと考えている。かつてネットスケープの幹部であったコーデスタニは、創業者のジム・クラーク、CEOのジョン・バークスデール、そしてブラウザの開発者であるマーク・アンドリーセンという三人の首脳が“<同期>していなかった”と残念がる。三人の間で引き裂かれたネットスケープは、方向性を見失ってしまった。

 国でも企業でも滅びるときは外敵ではなく内部崩壊から、というが、ネットスケープマイクロソフトの攻勢だけではなく、内部に問題を抱えていたのか。

 ヘクトはゲームで大切なのは“体験”、テレビで大切なのは“キャラクター”、そして映画で大切なのは“物語”だと語る。

 なるほどと思う定義。ヘクトとはアルビー・ヘクト。ハリウッドから転身、ウェブ番組やビデオゲームなどマルチプラットフォーム・ビジネスの会社を起こした人。「視聴」ではなく、「エンゲージメント(関与)」を前面に打ち出した。そのヘクトの製品開発論。

 製品開発には“六段階の関与”を盛り込むようにした。(1)(どのような機器上でも)観ること、(2)(ウェブ上で情報を検索することによって)学ぶこと、(3)(ゲームで)遊ぶこと、(4)(SNSやインスタント・メッセージに)接続すること、(5)集めること(ネット上でお金のやり取りを含む小規模な取引をすること)、(6)創造すること(ユーザーの創るコンテンツ)
 などを、ユーザーができるようにするのだ。「六つのうち四つがそろえば、開発スタート。六つすべてがそろうとプロダクトなら、ヒットまちがいなしと考えた」

 わかりやすいなあ。そして実践的。
 次に、ディズニーのCEO、ロバート・アイガーの話。アイガーは、CEOになって、まずエリザベス・キューブラー・ロスの『死ぬ瞬間 死とその過程について』をまず読んだという。死の受容の五段階説をとりあげながら...

 「最初に経験するのは否認、それかれ怒り、取引、抑鬱、受容の段階を踏む。まさに音楽産業が経験したことじゃないか。雑音ばかりに耳を傾け、最も重要な視聴者の声、つまりお客様の声を聞かなかったんだ」

 これもうまい比喩。新聞や出版はいま、どの段階だろう。テレビは?怒り?取引?
 ともあれ取材が豊富なので、いろいろな発言がある。Facebookの若きCEO、マーク・ズッカーバーク*1の言葉

 「ソーシャル・ネットワークは何か、ということについて大きな誤解がある」とズッカーバーグ。「よく言われるのは、新しい人と出会ったり、コンテンツを消費するためのコミュニティであるということ。新しいメディアとも言われる。でも本当は、情報の流通に関するまったく新しいパラダイムなんだ。伝統的なメディアでは、情報の流れはすべて中央集権的だ。フェースブックが可能にするのは分散的で、個人を軸とするコミュニケーションだ。それが一定の効率性をもってできるようになれば、従来のアプローチに頼るより、情報を簡単に集められるようになる」

 なるほど。これを読むと、検索エンジンの次の主戦場が、SNSであることがよく理解できる。どこかで読んだが、実際に米国のサイトではSNSから入ってくるトラフィックが増えているという。
 次に、メディアの苦境は一様ではなかった、新聞は苦しんだが、通信社は違ったという話。

 新聞には厳しい経済環境が、皮肉なことに通信社には追い風となった。新聞社は縮小にともない、ニュースの供給をそれまで以上に通信社にアウトソースするようになった(トムソン・ロイター*2のCEOトーマス・グローサーはこう語っている。「顧客が風邪を引くのは、ロイターにとっては好都合だ。ただし、それも相手が死なない場合に限る。死なれてはロイターにとっても都合が悪い)」

 こうしたアウトソース需要もあるが、APは収入の20%をネット企業から得ているという。
 さらにいくつか。

 「エンターテインメントが変わるというのは、視聴者の間食が増えるということだ」

 これはMTV出身のジェイソン・ヒルシュホーンという人の言葉。YouTubeは確かにスナック菓子を食べている感じがする。
 伝統メディアと広告について...

 モルガン・スタンレーのメアリー・ミーカーは2008年12月のレポートで、伝統メディアを震撼させるようなデータを示した。「噛み合わないメディア消費と広告支出」と題した図では、広告支出の配分が、消費者のメディア利用の状況と一致していないことを浮き彫りにした。
 たとえばメディア利用のうち、消費者が新聞を読むのに使う時間は7%だが、広告支出の20%が新聞に使われている。対照的にインターネットには25%の時間が使われているが、広告支出に占める割合は8%に過ぎない。
 広告はある時点で、恐らく劇的に、伝統メディアから離れていくだろう。

 商品・企業ブランドとメディアの特性の相性も絡むのでデータの相関を単純に読むことはできないだろうが、あまりにも数字が離れているから、どこかの時点で大幅な水準訂正に動くことは否定できないだろうなあ。伝統メディアは大変...
 そして、メディアに限らず、伝統産業がデジタル革命に対応していくために、必要なエンジニアを確保できるか、という問題。ペイパルの共同創業者であるピーター・シールの言葉。

 「ペイパルを立ち上げる1998年ごろ、我々は『なぜ銀行がこのサービスをやらないのだろう?』と不思議でならなかった。現実には銀行もまねはしようとしたが、優秀なエンジニアがいなかったため、できなかった。我々のエンジニアの方が、はるかに能力があったんだ。銀行を悪く言うつもりはないが、優秀なエンジニアだったら、シティグループで働きたいと思うかい? 自分の仕事が成功のカギを握ると思われないような会社で? 政治家ならワシントンDCを目指すだろう。金融マンならニューヨーク、俳優ならロサンゼルスだ。エンジニアなら、そう、シリコンバレーだ」

 これまた納得。なぜ大企業でネットビジネスが成功しないか。シールの語る話は、日本でも変わらないだろう。
 で、グーグルのビジョン。2002年に、ラリー・ペイジスタンフォード大学で語った言葉。

 「検索の方法を極めれば、どんな質問にも答えられるようになる。それは基本的に何でもできるようになるってことなんだ」

 技術への楽観的信仰がある。その信念が検索機能強化へ向けてのぶれない開発となり、グーグルの強さとなるのだが、これに対して、ジョン・ボースウィック(自治体のウェブサイトを最初に作ったクリエーターのひとり)の言葉...

 「グーグルの関心は、コンピュータの頭脳であるCPU(中央演算装置)にしかない。人間の頭脳を無視しているんだ」。それがグーグルの検索を脆弱にしている、とボースウィックは指摘する。

 だから、グーグルは、Facebookも、Twitterも創れなかった。
 というわけで、これだけ抜書きしても、ほんの一部。インターネットとメディアの現状を知る上で必読書だろう。最近のグーグルと中国政府の検閲をめぐる問題はないが、それ以外は、2010年の春までカバーされている。
 最後に一点、気になったのは固有名詞の訳語、「サーゲイ・ブリン」は「セルゲイ・ブリン」、Facebookの「ズッカーバーグ」は「ザッカーバーグ」、「トムソン・ロイターズ」は「トムソン・ロイター」と表記されるのが一般的(ウィキペディアでも後者)。「プロ・プブリカ」も新聞、雑誌では「プロパブリカ」と表記されていることが多い。発音に近い形で翻訳しているのだろうが、このあたりは日本で一般化している表記を使ってもいいのではないかという気もする。翻訳として、どう判断するのか、難しいところだろうが。
セルジオ・ジーマンの実践!広告戦略論 ザ・サーチ グーグルが世界を変えた クラウド化する世界~ビジネスモデル構築の大転換

*1:ザッカーバーグということが多いが、本書ではズッカーバーグ

*2:英語表記では「Thomson Reuters」で、確かに「s」が付いているが、日本語表記では「トムソン・ロイター」のはず。本書ではこちら