広井良典『持続可能な福祉社会』

持続可能な福祉社会―「もうひとつの日本」の構想 (ちくま新書)

持続可能な福祉社会―「もうひとつの日本」の構想 (ちくま新書)

 『定常型社会』の広井良典氏の社会保障論。副題に『「もうひとつの日本」の構想』。保守主義でも、自由主義でもない社会民主主義型社会の提案。<「人生前半の社会保障」というテーマを導入しつつ、「持続可能な福祉社会」というコンセプトを中心にすえて、これからの日本が志向すべき社会のありようについての全体的な構想を描こうとする>本。社会保障というと、とかく年金など「人生後半の社会保障」に行きがちだが、「失われた20年」以降の日本では、20〜30歳代の若年層にとって、より厳しい時代になっており、教育、雇用など「人生前半の社会保障」の重要性が増している。本書が指摘するように、会社、家族といった「見えない社会保障ネット」が崩壊した今、その重要性は増している。
 目次で内容を見ると...

プロローグ 「人生前半の社会保障」とは
第1章 ライフサイクル論
第2章 社会保障/雇用論
第3章 教育論/「若年基礎年金」論
第3章附論 年金論
第4章 福祉国家論/再分配論
第5章 定常型社会論/資本主義論
第6章 環境論/総合政策論
第6章附論 医療政策論
第7章 コミュニティ論
エピローグ グローバル定常型社会へ

 で、読んだ印象でいうと、「人生前半の社会保障」という問題提起は時宜を得たものであり、これからの重要な課題だと思う。公共事業が、若年層労働者に対する雇用対策で、一種の社会政策だったというのは、なるほどと思った。公共事業にしても、農業政策にしても、役所の非効率な事務作業や特殊法人の拡大などが、大目に見られてきたのは、ある種、「雇用対策」としての役割を暗黙のうちに認めてきたところがある。ただ、恐ろしく非効率で、資源のムダづかいでもあり、経済が成長していないと存立しないシステムだった。
 そんなこんなで分析面では刺激的なのだが、処方箋となると、これが難しい。民主党の「子ども手当」なども「人生前半の社会保障」的な発想から出ているのだろうが、当然、議論はある。これまでの制度をそのままに、手を広げれば、経済は持たない。「定常」どころか、マイナス成長経済になりそうな世の中なのだから、なおさらだ。というわけで、処方箋となると、分析ほどの切れ味がなくなる。高齢者の基礎年金を厚めにして、税金でまかない、報酬比例部分は民間に移すというのは納得できる解だと思ったが、一方で、20〜30歳のすべての個人に月額4万円程度を支給するという「若者基礎年金」などとなると、うーん、と唸ってしまう。
 個人に一律に現金を手渡すのでいいのだろうか。それよりも高校・大学・専門学校など教育の無償化を拡大したほうがいいのではないか、とか、いろいろと考えてしまう。将来の展望が見えないなかで、カネだけ渡しても、「パンとサーカス」のような、その場しのぎの快楽を優先した人気取りのバラマキ政策で終わってしまわないか。だいたい、今のような停滞経済で、未来に希望を持ち、自分への投資が進むのだろうか。まあムダにみえるようなことが将来の役に立つということもあるけど...。
 まあ、この本の場合、「社会前半の社会保障」と「持続可能な福祉社会」というテーマを提示し、議論を呼ぶことに意味があるのだろう。その点では成功している。処方箋は、今の民主党のように迷走しながら、探っていくことになるのだろうか。
 もう一つ、この本で打ち出された事後の所得分配という視点だけではなく、事前の機会均等という視点が必要というのも、今の経済環境を考えると納得できるものだった。学生たちの中には、新卒として、どの会社に入るかで人生は決まると思っている人がいる(さらには、その会社に入るために、どの大学に入るかで)。それもこれも企業の新卒採用至上主義のためで、これが学歴主義をはじめ、世の中を歪めている部分もかなりある。「新卒主義」など「雇用差別」として、100%新卒採用は禁止してしまうとか、機会均等・セカンドチャンスのための規制は必要なだろう。引いては、それが活力を生むと思うのだが。
 しかし、「定常型社会」というのは理想ではあるが、現実を考えていくと、どうも「停滞社会」「身分固定型社会」と、どこが違うのかとかと思ってしまう。想像力の貧困かもしれないが、どうもイメージできるようで、イメージできないところがある。「ほどほど社会」とか「そこそこ社会」とか、言ったほうがいいんだろうか。
 と、まあ、処方箋はともかく、現代日本社会保障を考えるうえで刺激的な本だった。これだけ、いろいろと考えてしまうのだから。
定常型社会―新しい「豊かさ」の構想 (岩波新書)