堀内都喜子『フィンランド 豊かさのメソッド』

フィンランド豊かさのメソッド (集英社新書 (0453))

フィンランド豊かさのメソッド (集英社新書 (0453))

 教育でも国際競争力でも世界トップクラスで注目を浴びるフィンランドのレポート。堀内氏は現地のユヴァスキュラ大学院に留学しており、現地の社会、教育の中で現実に過ごしたリアルな感覚が本書の魅力となっている。
 目次から内容を見ると...

はじめに
 へぇー、フィンランド? 日本には馴染みの薄い国だが......
第1章 不思議でとても豊かな国
 〜失業率20パーセントから国際競争力1位へ
第2章 学力1位のフィンランド方式
 〜できない子は作らない
第3章 税金で支えられた手厚い社会
 〜独立心が旺盛でたくましい女性
第4章 日本と似ている?フィンランド文化
 〜異文化コミュニケーション

 フィンランドというと、高負担・高福祉というイメージで、確かに大学生になると、授業料は無料であるばかりか、毎月約500ユーロが支給されるなどといった恵まれた環境にある。しかし、一方で、大学は専門教育の場で入学は極めて難しいという。総合大学と高等職業専門学校、高校と職業専門学校という複線教育システムになっており、あとから変更もできるらしいが、みんながみんな、普通高校へという世界ではないらしい。
 また、企業も一定の教育と職歴を持った人を即戦力として採用するので、ある職種に就くために必要とされる科目は決まってくる。どの学校かではなく、どの教育を受講しているかが重視されるというのだが、これはどの有名校を出たかが(現実には)就職試験の足切りの手がかりとされている日本より健全だと思う。また、不幸にして失業した人が再教育を受けるインセンティブになるし、社会が進化していくことにもなる。
 医療費の負担がきわめて軽い一方で、医師にかかるのは症状が重い人だが中心で、「緊急でない限り、なかなかすぐには予約はとれない」という。加えて、病院の他に健康センターがあり、以下のような具合になっているという。

 フィンランドではこの健康センターと病院が分業されており、一般的な、簡単な診療は健康センターで、専門的または緊急の手術、入院を要するものは病院でとなっている。健康センターはいわば、地域診療の窓口といったところである。友人が骨折したときも、手術、入院はもちろん病院だったが、ギプスの切除、リハビリは健康センターでおこなわれた。したがって、フィンランド人にとってみると「病院」は重い病気やけがのときに行くところといった感覚ががある。

 で、こんな話になる。

 フィンランド人もこういう事情を知っているため、よっぽど症状が重いとか、よっぽど具合が悪くない限り健康センターや病院に行かない。風邪ぐらいでは診断してもらおうと思わないし、皆、異様に我慢強い。日本では、「ひどくなる前に医者に診てもらったら」などとよく言うが、フィンランドではひどくなってからでないと医者に診てもらえない。もちろん、どうしてもすぐに診てもらいたいというときは、個人病院や私営の医師にかかることもできる。私営はやはりビジネスなので、症状はなんであれ、すぐに診てくれるが、そのぶん、値段は高い。多少保険は利くが、公共機関であればほぼ無料のところを一回の診察で何千円もとられてしまう。

 なるほど、それぞれの社会には表と裏がある。
 高負担・高福祉にしても、個人がどこまでやって、国がどこまで面倒をみるのかという線引きが必要になる。どこまでも国といえば、財政が成り立つわけがなく、フィンランドでも90年代以降は、財政と福祉の再調整をしたらしい。その中で、国として人材投資を最優先にすることは徹底しつつ、ほかは削るところは削ったらしい。道路の補修は後回し、週に一度、小学校であった「アイスクリームの日」もなくなったらしいから...。厳しい財政再建の過程で、失業率が20%に達した時もあったという。そうした苦しみの中から、何を残し、何をやめるかというコンセンサスができていったのかもしれない。
 日本の場合は、20%の失業が発生するような極端な窮状はなかったが(それは幸福でもあるが)、そのかわりに20年かけて徐々に衰退し、体力を消耗していっている。社会的コンセンサスもいまだにあるような、ないような状態が続き、政治改革・経済改革の覇気も乏しい。社会再生という観点から、フィンランドの話は刺激的だった。一方で、東京都よりも人口が少ない国だから、合意形成ができたのかとも思う。国家にも適正規模というのがあるのだろうか、とも考えてしまった。