官のプロパガンダのための「幸せ」尺度探しにならなければいいけど...

国民の「幸福度」を測ろうとする政府の取り組みが本格化している。豊かさの代表的指標である国内総生産GDP)で中国に追い越されようとしている中、多様な統計を駆使して満足度を捉え、政策立案に生かす試み。専門の研究会が来年6月までに具体的な測定方法の案を示す予定だが、人の幸せには「いろいろな側面がある」(内閣府の和田隆志政務官)だけに、議論は多岐にわたりそうだ。

 「幸福度」が、官の既得権益を守るための理論武装のために使わなければいけど。幸福度を上げるために、いろんな公共機関をつくって、税金を使おうと考えているんじゃないかとか、つい疑ってしまう。政府は何でも官主導の人たちだから。抽象的な幸福度の前に、憲法に定められた、すべての国民が持つ「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」のために、限られた財源の中で、いかに政策を実行していくかのほうが大切なんじゃなかろうか。「新しい公共」が「古い公共」を温存しつつ「新しい公共法人」を新設することだとしたら、悪夢だけど。
 しかし、この測定法の案が出てくる2010年6月まで、いまのような政治が続き、官治国家がさらに強固なものになっていくのならば、幸福度を測る必要もない惨状になっているような気もする。それとも、お上が幸福かどうかを決めてくれる「すばらしい新世界」ができるのだろうか。
新しい公共を担う人びと 人間が幸福になる経済とは何か すばらしい新世界 (講談社文庫)