日本銀行のゼロ金利解除に歴史の審判――2000年下期、金融政策決定会合の議事録公開

日銀は27日、2000年7-12月に開いた金融政策決定会合の議事録を公開した。最大の注目点はゼロ金利政策の解除を決めた8月の会合。政府が議決延期を迫ったのに対し、速水優総裁(故人)が「こちらが政策判断として決定するのは(日銀法)第3条で認められた我々の自主性である」と訴え、日銀の独立性を盾に解除を断行する様子が浮き彫りになった。だが解除後、日銀の決断はIT(情報技術)バブルの崩壊で暗転する。議事録は株安や輸出減速に直面し、次第に焦りを募らす政策委員らの姿も克明に映し出している。ゼロ金利政策の解除は国内外から「政策判断の誤り」という厳しい批判を浴び、日銀の信認や政府との協調関係に禍根を残した。そしてデフレ脱却へ苦闘する現在の金融政策運営にも重い課題を投げかけている。

 今朝の新聞各紙は1ページを割いて、2000年のゼロ金利解除に関する日銀・金融政策決定会合に関する議事録公開を紹介、解説していた。日銀はゼロ金利の解除に固執していたが、当時から反対論が根強くあった。その政策決定過程がオープンにされたわけだが、議事録をみると、そのときからいわれていたように、これはゼロ金利解除を強力に進めた速水総裁の失政に読める。日銀の独立性の堅持、ゼロ金利政策は異常という「信念」に囚われ、経済の現実を見ていなかったように思える。信念で経済を判断するのは最悪だ。それとも、もともと生きた経済に疎い人だったのか。首相が国債格付けに疎いのだから、経済に疎い日銀総裁がいても不思議ではないかもしれない。いずれにせよ、現在に至るデフレの一因となった失敗の一つとして、「日銀」は世界の中央銀行に対する反面教師としての名を高めてしまった。
 しかし、10年後に議事録がオープンにされるのはいいことだ。何が、どのように決まったのか。誰がどのように判断、決定したのかもわかる(ゼロ金利解除に反対したのは中原伸之、植田和男の両審議委員)。誰がゼロ金利に賛成し、誰が反対したかも、わかる。それを見て、結果論で責任を問うというよりも、その決定が歴史に対して責任を持つものだということが明確になる。正しかったにしろ、間違ったにしろ、論理が問われる。論理が明解になれば、後世に知識、経験として役立てることができる。感情や立場や思惑で決定すると、10年後に恥をかくということがわかるだけでも、身をただして決めることになるんじゃないだろうか。
 この議事録、中身も興味深かったが、情報公開の大切さも教えてくれるものだった。いまの日銀審議委員の人たちも身が引き締まる思いじゃないだろうか。
日本銀行金融政策決定会合議事録等(2000年7月〜12月開催分)」
 http://www.boj.or.jp/type/release/teiki/gijiroku/data/gjrk.htm
強い円 強い経済 日銀はだれのものか ゼロ金利との闘い―日銀の金融政策を総括する