連合赤軍事件の永田洋子が獄中で死去。65歳。
連合赤軍の元幹部で、昭和40年代に多数の仲間を殺害した事件などで死刑が確定した永田洋子死刑囚が、5日夜、東京拘置所で死亡しました。連合赤軍の元幹部の永田洋子死刑囚(65)は、昭和46年に組織を抜けた仲間2人を殺害したほか、翌年にかけて群馬県の榛名山などのアジトで仲間12人を死亡させた殺人などの罪に問われ、平成5年に死刑が確定しました。法務省によりますと、永田死刑囚は昭和59年に脳に出来た腫瘍の手術を受け、平成18年に再び手術を受けましたが、寝たきりの状態になりました。去年9月には肺炎と診断され、今月に入って症状が悪化して重症となり、治療を受けていましたが、5日午後10時すぎに死亡しました。
連合赤軍事件の永田洋子が死去。2006年から寝たきりだったのか。65歳。連合赤軍は赤軍派と京浜安保共闘が「連合」したもので、永田は京浜安保共闘系のリーダー。赤軍派系のリーダー、森恒夫は1973年に獄中で自殺。28歳だった。連合赤軍のメンバー12人のリンチ殺人事件が起きたのが1971年から72年。翌年に森が自殺し、それから38年。殺された人たちは21歳から28歳。その人たちの人生を超える年月を獄中で送ったわけだ。死刑の確定からも18年もたっている。
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