津野海太郎『電子本をバカにするなかれ』

電子本をバカにするなかれ 書物史の第三の革命

電子本をバカにするなかれ 書物史の第三の革命

 副題に「書物史の第三の革命」。第一の革命は、口承から書記(手写)へ、第二の革命は、書記(写本)から印刷(書籍)へ。そして第三の革命が電子化ということになる。電子化は電子書籍だけではなくて、「無料情報の広大な海」であるウェブも含めての世界。
 晶文社の名編集者であり、「本とコンピュータ」の編集長でもあった津野氏だけに、KindleiPad以降の凡百の電子書籍ビジネス新時代本や出版業界は大変だぞ的な嘆きの書とは違って、文明史的観点から現状を展望する。これまでの書物の革命が、前代の主役を抹殺したのと違って、第三の革命では、紙の書籍と電子本が共存していくだろうというのは実感として納得できる。と同時に、電子本側に文化的、社会的な責任を背負う覚悟がないというのも同感。ビジネスは考えていても、社会的責任の意識が欠けている。一方で、伝統的な書籍の側には、社会的責任を強調する余り、ビジネスの視点が欠落しているかもしれない。
 全体は3部構成で、目次で紹介すると、こんな感じ。

I 書物史の第三の革命
II 電子本をバカにするなかれ
III 歩く書籍−−ブックマンが見た夢

 書き下ろしの「書物史の第三の革命」が読み応えがあり、考えさせられる。「電子本をバカにするなかれ」は、「本とコンピュータ」時代のエッセイをまとめたものだが、ここは時代の空気はわかるものの、書き下ろしに比べては散漫で、読み飛ばしてしまった(エキスパンドブックの話は懐かしくて、面白かったが)。
華氏451 [DVD] 華氏451度 (ハヤカワ文庫SF) 最後の「歩く書籍」は、レイ・ブラッドベリの『華氏451度』をもとに、第一の革命を語る。『華氏451度』は本も読んだし、フランソワ・トリュフォーの映画も見たが、津野氏が語るように、映画のイメージが鮮烈で、古典を暗記したブックマンは、その古典をそのまま一字一句暗記し、自分が本そのものとなって静かに生きていくのかと思っていた。これを文明が崩壊し、文字が消え、本に描かれた物語が口伝によって時代を生き延び、再び、新たな文明の文字と出会って蘇る。つまり、本 => 口承 => 書記 => 本という壮大な文明の流れをブラッドベリが構想していていたとは気付かなかった。実際、ギリシャにはそうした文字の空白期間があるという。もう一度、『華氏451度』を読み返しみるかな。
 このほか、印刷本の百科事典が持つ無謬主義と、人間の知識では絶対的な精確さなど無理なのだから、間違いは修正しながら、できるだけ間違いを少ないものにすればいいという「マチガイ主義」(falliblism)に根ざした電子本のウィキペディアの違いの指摘など、面白かった。この考え方の差で、印刷本のひとたちは苛立つのだろうなあ。印刷本はスタジオ録音で、ウェブはライブといった人がいたが、それを思い出した。