福島原発注水問題、政府と東電と現場の間に信頼関係がなかったということか...

東京電力福島第一原発1号機の海水注入問題で、東電は26日、一時中断したと説明してきた海水注入を、実際には中断せずに継続していたと発表した。東電本社と発電所の協議では、海水注入をめぐる検討が官邸で続いていたことから中断を決めたが、福島第一原発吉田昌郎所長の判断で継続していた。国会でも追及された問題が根底から百八十度くつがえされた。東電によると、3月12日午後2時53分に真水の注入が停止したため、午後7時4分から海水の注入を始めた。しかし、午後7時25分、官邸にいた東電の武黒一郎フェローが「首相の了解が得られていない。議論が行われている」との状況判断を本社に連絡。本社と発電所テレビ会議で協議し、注入の中断を決めた。

 福島第一原発の海水注入をめぐる問題。中断したのかしないのか、それは政府の指示なのか、原子力安全委員会の指示なのかと二転三転したあげく、結局は現場の判断で注入を継続していたという話に...。一時中断することで事態を悪化させたのではないかというのがベースにあった話だから、独断専行ではあったが、現場の判断が適正だったということになってしまう。しかし、この問題をみていてわかることは、要するに政府と東電の間には信頼関係がないということ。政府のなかでも、官邸、原子力安全委員会原子力安全・保安院経産省の間にも信頼関係がない。東電も本社と原発事故を処理をしている現場との間も信頼関係がないということがみえてきた。
 海水注入中断をめぐる真実は、結局、言った言わないで真相は藪の中になるのだろうが、何となく情景が頭の中に浮かんでくる。前代未聞の原発事故に直面し、首相は心配事で頭がいっぱい、なまじ原子力のことをかじっているから、「海水注入」と聞いて「再臨界」というリスクが頭の中で膨張してくる。で、専門家である原子力安全委に「大丈夫か」「大丈夫か」と問い詰める。科学者は科学者的な精密さをもって「可能性はゼロとは言えない」と答える(答えるのが面倒くさくなったのかもしれないが)。「やっぱり!」と首相は思い、考え込む。それを見ていた電力会社の担当者は、これは一大事、海水注入の危険性を首相は危惧していると、本社に一報する。本社は、首相のご意向(不安)をおもんばかって、とりあえず一度、注水を止めろと現場に知らせる。注水を止めるリスクを知っている現場は、この非常時に、バカ言ってんじゃないよ、俺の責任でやるから、いい、と。本社を無視して作業を継続する。以上、空想だが、そんなところじゃないんだろうか。
 どこの会社でもよくある風景。決断せず、示唆するトップと、その示唆を命令と受け止めて現場に指示する本社、現実無視の指示に泣く現場。そう考えると、ものすごく、わかりやすい。結局のところ、みんな責任をとりたくない、怒られたくない。だから、「決断」をスルーして現場に投げる。成功すれば、トップの手柄、失敗すれば、現場の責任。トップの意を「指示」に転換できる側近は「有能」と評価される。そうしたダメダメな組織で、よく見るファルス(笑劇)が、原発事故のさなかでも繰り広げられただけか。そんな空想のとおりだとしたら、日本にとって、とてつもない悲劇だけど。
★海水注入独断継続の吉田所長はこんな人: YOMIURI ONLINE(読売新聞) => http://bit.ly/jpJoAM

現代政治の思想と行動

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