寺田寅彦「科学上における権威の価値と弊害」(青空文庫)

 いま読むと、含蓄がある寺田寅彦のエッセイ。例えば、以下のようなところ...

本当の科学を修めるのみならずその研究に従事しようというものの忘るべからざる事は、このような雷同心の芟除(さんじょ)にある。換言すれば勉(つと)めて旋毛(つむじ)を曲げてかかる事である。如何なる人が何と云っても自分の腑(ふ)に落ちるまでは決して鵜呑みにしないという事である。

 権威がある人の発言を盲信してはいけない。やはり、自分で考えて、すとんと落ちてこないところは、単純に信じてはいけないのだな。今回の福島原発事故で次々と登場した原子力問題の権威者の方々のことを思い出すと、そのとおりだな、と思う。建屋が派手に爆発しているのに、原子炉に何もないと考えるのは常識としては無理があった。大丈夫、大丈夫という発言がいまは虚しく思い起こされる。そして、その一方で、寺田寅彦氏が、発言者その人よりも、情報の評価については聞く側の問題としているところにも納得が行く。例えば、こんな具合。

甲某は何々のオーソリチーであるとなれば、その人の所説は神の託宣のように誤りないと思われるのが通例である。想うにこれらは権威者の罪というよりはむしろ権威者の絶対性を妄信する無批判な群小の罪だと考えなければなるまい。もとより一般から権威と認められる人がその所説を発表し主張するについては慎重でなければならぬ事は勿論であるが、如何なる人でも千慮の一失は免れ難い。万に一つの誤りをも恐るるならばむしろ一切意見の発表を止めねばならない。万一の誤りを教えてならないとなれば世界中の学校教員は悉皆(しっかい)辞職しなければならない。万一の危険を恐れれば地震国の日本などには住まわぬがよいというと一般なものである。恐るべきは権威でなくて無批判な群衆の雷同心理でなければならない。

 確かに科学者に100%を求めたら、何も話せなくなってしまうし、「可能性はゼロではない」というような訳の分からない誰でも言えるようなことを言って、かえって世の中を混乱させることにもなってしまう。
 寺田寅彦は面白いなあ。ちょっと真面目に読んでみようか。
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寺田寅彦 (ちくま日本文学 34)