政治家は平成も大正も変わらない。関東大震災の後も政争で復興復旧計画は遅れに遅れた。

 菅内閣の不信任案、小沢、鳩山の造反で成立するかもしれない情勢という。東日本大震災の復興復旧が急がれる、この時期にと思うが、1923年(大正12年)の関東大震災の時も同じような状態だった。高橋亀吉の『大正昭和財政変動史』に、こんな一節がある。
 関東大震災後、復興復旧のために日本経済には巨大な有効需要創出が見込まれていたのだが...

 尤(もっと)も、以上の震災景気観は、その後、相次ぐ政変のため、復興復旧計画が予定の如く進捗しなかったたために、出鼻を少なからずくじかれた形になった。即ち、復興復旧計画の立案者たる山本権兵衛内閣は、同案の議会通過直後、12月27日の虎の門事件のために突如辞職した。次いで立った清浦内閣は衆議院において「護憲三派(政友、憲政、革新)」の反対を受け(大正)13年1月31日議会を解散し、5月10日総選挙を行ったが敗れて辞職し、6月9日加藤高明首相の下に護憲三派連合内閣ができた。即ち、震災後その対策の最も急を要する時において、内閣は転々してその方針は一貫せず、予算は成立せず、政務は渋滞して、復興復旧計画は予期の如く進捗しなかったのである。

 いまの政治状況と、そこはかとなく似ている。危機にあたっても政争優先なのは、日本政治の宿痾なのだろうか。それとも、天は日本の政治が混乱した時期をねらいすましたかのように災害を引き起こすのか。鳩山由紀夫・邦夫の祖父、鳩山一郎は政友会(立憲政友会)や政友本党の議員だったから(この時期も政党の離合集散がややこしい)、この時期の政争にも参加していたことになる。一方、小沢一郎の父、小沢佐重喜は昭和の政治家だが、佐重喜が師事した三木武吉は震災後の政争時、憲政会の重鎮だった。こうしてみると、震災直後に倒閣に走るのは、小沢・鳩山両家の伝統かもしれない。歴史って不思議だなあ。