遠藤誉『チャイナ・ナインーー中国を動かす9人の男たち』

チャイナ・ナイン 中国を動かす9人の男たち

チャイナ・ナイン 中国を動かす9人の男たち

 中国を動かしているのは、中国共産党中央委員会政治局常務委員会。主席による独裁ではなく、集団指導体制というのが現在の中国というのが本書の主張。この本が出版された2012年3月には、メンバーは9人だったので、「チャイナ・ナイン」というタイトルになっているが、この11月の党大会で常務委員会のメンバーは7人になったので、いまは「チャイナ・セブン」ということになる。しかし、チャイナ・ナインがチャイナ・セブンになっても、この本の面白さは変わらない。中国の意思決定がどのような仕組みになっており、どのような派閥がどのような思想、利害関係で成り立ち、その構成員はどのような経歴と考え方をする人たちなのかが詳細に語られている。中国に関する本では出色の内容で、面白く、参考になる。こういう国を相手にしているんだなあ。
 目次で内容を見ると、こんな感じ…

序 章 権力の構図 (序章付記 基礎編)
第1章 中国を動かす9人の男たち
第2章 次の中国を動かす9人の男たち
第3章 文化体制改革
第4章 政治体制改革
第5章 対日、対外戦略
終 章 未完の革命

 第2章が9人ではなく、7人になってしまったわけ。ひとりひとりの人物像が細かく紹介されているので、誰が落ちたのかを見ることで、その背景の政治闘争を想像することができる。
 読んだ感想をノートしておくと、中国には、3つの派閥があるという。江沢民を中心とした上海閥胡錦濤を中心とした団派(中国共産主義青年団共青団)、そして今度の主席、習近平に代表される有力幹部の子弟たちの太子党。この派閥構造に政治経済思想が絡みあう。
 訒小平は、中国の改革開放を進めるにあたって、「先富共富論」を唱えたという。先富は「先に富める者から先に富め」、そして共富は「先富の後に共同富裕(共富)になれ」。この両者が一体となって国は成長し、社会も安定するのだが、先富論は拝金主義に転化しやすく、権力と富が結びつき、腐敗を生みやすいし、実際、それが中国の問題となっている。
 派閥でいえば、上海閥は「先富論」の代表で、中国の成長を推進する一方で、腐敗の問題を抱える。一方、団派は自分の実力で組織の階段を上がってきたものが多く、高学歴でもあり、格差の問題に敏感で、「共富」に充填を置く。太子党は、中国の上流階層でリッチだから、「先富論」に傾きがち。こうして、上海閥太子党が結びつき、団派と競う政治構造になり、この対立を頭に置いて、物事を見ると、中国の行動が見えてくるという。確かに…。著者は、中国の成長に果たした上海派の功績を評価はしているが、どちらかいうと、団派にシンパシーを感じているように読める。共富に手が付けられていないことが問題だと思っているようだ。
 以下、印象に残ったところを抜書きすると…
 まず中国の遠大なエネルギー計画...

 (中国が)宇宙開発に死力を注いでいるのも、2020年には宇宙基地を設置し、太陽風が運んできて月表面に大量に堆積しているヘリウム3を採取しようという壮大な国家計画があるからだ。日本に未曾有の災害をもたらしている「核分裂炉」と違って、ヘリウム3を使って、高濃度放射性廃棄物質をほとんど出さない理想のクリーンエネルギーを得ることのできるプラズマ「核融合炉」を実現させようという夢に本気で取り組んでいる。

 原発・エネルギー問題は、今回の総選挙でも争点のひとつだが、このぐらいでかい話をぶち上げる政治家がいても良さそうだけど、日本は小粒になってしまったというだろうか。それとも、あたまが良くなりすぎて、夢を見ることができなくなったのか。
 「先富論」が残した問題について…

 その結果、たしかに経済は爆発的に成長した。
 しかし、それは同時に社会主義国家にあってはならない激しい貧富の格差を招き、汚職の蔓延をも招いたのである。
 そして、「先富論」によって正当化されてしまったともいえる「官商一体化」をさらに推し進めたのが江沢民の「三つの代表」論だ。これは一言で言うなら「企業家(資本家)の共産党入党を認める」という内容である。これにより党幹部の利権独占がますますエスカレートしていく。
 かくして、まるで「官僚資本主義的な社会主義国家」が出来上がってしまった。

 なるほどなあ。さらに

 「先富」がもたらした災禍は貧富と地域の格差や腐敗の蔓延だけではない。「貧二代」(貧乏人は貧乏なまま)、「富二代」(富んだ親の子はさらに富んでいく)、「官二代」(政府高官の子は高官になっていく)という格差の固定化以外に、激しいモラル喪失をもたらした。不倫や売春などは序の口である。堂々と第二夫人を囲う成り金や地方政府高官あるいは共産党幹部が続出し、2005年あたりには「二奶(アルナイ)村」までが出現した。「二奶」とは「妾」あるいは「二号さん」のことで(以下、略)

 絶句…。そんなことまで起きているのか。

 どのような民主主義国家においてもあり得ないような退廃が社会主義国家に現れる。それはすなわち、「向銭看!」(銭に向って進め!)という価値観が招いたもので、経済発展を重視するあまり、「精神性の矛盾」を正視してこなかったツケでもある。中国共産党の「為人民服務」(人民のために服務する)という根本精神を、庶民は「為人民幣服務」(人民元のために服務する)に置き換えて世相を風刺している。

 だから、「和諧社会」というスローガンが出てきたのだなあ。
 意思決定構造。

 中国共産党の方針を「人民の代表」により議決し、法制化し、合法化して実行するための「最高意思決定機関」が全人代で、それを実務として執政するのが国務院だると位置づけることができる。そんなすごい権限を持つ執政党を統括するのが9名の中共中央政治局常務委員だ。(略)この9名に「チャイナ・ナイン(China 9, C9)という名称を付けるとすれば、中国はこのC9によって動かされていると言っても過言ではない。もちろんC9のうち、総書記は会議の議決の際の最終決定権を持っているが、C9会議の特徴はむしろ「多数決」にある。多数決は、実はC9会議における「鉄則」で、これを踏み外すことは絶対に許されない。これを「集団指導体制」と称する。

 うーん。そういう仕組みだったのか。

 つまり毛沢東時代のように一人の人間の意志や発言によってすべてが決まるという意思決定ルートは、今や存在しないのである。その意見で中国は特定人物による「独裁」ではなく、中国共産党による「党内民主を持った一党執政」なのである。

 そうかあ。

 中国といえば、ほぼ反射的に「国家主席のひとことで何かが決まる一党独裁」と連想するが、それは正確ではない。その誤解があるため、次期国家主席に誰がなるのかに関して日本人は強い興味を持っているが、「中国の方向性」を決めるのは国家主席ではなく、チャイナ・ナインなのである。しかも国家の頂点に立つそのチャイナ・ナインのメンバーが必ずしも一枚岩ではないことこそが重要だ。

 なるほど。常務委員会のメンバー構成の分析が重要なのだなあ。
 既に中国のネットユーザーは5億人を超えているという。当然、若い世代が多いわけだが、その特徴について…

 中国新人類の対日感情のダブルスタンダードとは、つまるところ、自ら選び取った「日本動漫大好き!」というリベラルなサブカルチャー(次文化)に対する愛と、国家から施された「反日的感情」を醸成する結果を招く「愛国主義教育」という社会主義的なメインカルチャー(主文化)に対する服従とが、彼らの心の中に同時に存在している、ということなのである。そして彼らはスイッチを切り替えるようにして、「日本動漫大好き!」なコスモポリタン現代っ子になったり、「日本許すまじ!」といった民族主義愛国主義者になったりしているわけだ。

 動漫はアニメのこと。アニメは日本のソフトパワーだなあ。しかし、アンビバレントな感情を持った世代だということは、わかるような気もするけど、難儀な人たちだなあ。
 そんな若者たち、特に大学生に対して中国共産党は思想統一を強化しようとしているという。それは大学生が怖いから。その理由は…

 一人っ子世代も今や30歳を過ぎている。現在の現役大学生は1990年以降に生れた世代である。つまり「90后」だ。権利意識もグローバルな精神性も十分に持っている。その若者たちの心の中に「赤い」血潮は燃えていない。それでも、自己の利益に関する不合理な扱いに対してなら、本気で怒る。これは農民工や失地農民が腐敗した汚職官僚に対する怒りと中産階級が自らの利益を侵害する環境問題などに対して怒るのと同じメカニズムなのである。今や「赤く燃えてない」学生たちをコントロールすることは不可能だ。「自らの利害が侵された」という理由で、もし学生が造反すると、必ず2億を超える貧困層・失地農民が共鳴し、中産階級も賛同して、中国政府は転覆する。天安門事件のときのように、もし政府が民に武力を使えば、必ず民は政府に「ノー」を突きつけるだろう。

 いまのように経済が停滞すると、危うさが増すんだなあ。そして…

 「反日デモ」は最終的には「反政府でも」に変身する。それを中国政府は知り尽くしている。だから、どんな名目であれ、若者に「デモ」というものをしてほしくない。したがって中国政府にとって大学生ほど怖いものはないのである。しかも、民主のために立ち上がっているのではないから、もっと怖い。政権が「何党」だろうと、そのことにはあまり関係なく、自らの利益や未来の自己の幸せを追求することを著しく阻害する具象的な対象に対して怒るのである。物価高とか住宅家屋の高騰とか、就職難といった目の前の障害物に対して怒る。実のところ、どんなに「社会主義核心価値観」などを説いても、あまり効果はないのだが、それでも中国は、もう最後の望みをここに賭けるしかないのだろう。経済成長によって中国共産党の正当性を説得する時代は過ぎつつある。

 なるほどねえ。もう官製デモなどというスキームは怖くて取れないなあ。もし仕掛ける人間がいたら、国内の政争の危険な道具なんだなあ、きっと。
 もう一度、ネットに戻って…

 中国政府が恐れているのは、バーチャル空間であるはずのネットで結ばれた若者たちが横につながり、リアル空間に飛び出すことだ。なぜなら若者たちは日常生活において物価高や就職難あるいは言論規制などに対して不満を持っているので、リアル空間で抗議デモなどを起こし始めたら、その抗議の対象は必ず最終的には中国政府に向けられるであろうことを政府は知っているからである。

 実際、チュニジア、エジプトなど中東の春はそれが現実化したわけだからなあ。でも、怒りが日本と同じように、というか、半径3メートルぐらいの身近なことへの条件反射になっているんだなあ。この現象は世界共通でもあるんだろうか。
 習近平政権の対日政策を論じるところでは、こんな話が…

 まず最初に言えるのは、2009年12月15日に、もし民主党が強引に習近平副主席を天皇陛下に会わせようとしていなければ、習近平の日本に対する印象は決して悪くはなかっただろうということである。(略)この「事件」により、本来ならば日本に好印象を持ったかもしれない習近平を、「日本」と言えば、あの「バッシング」という連鎖反応へと導くきっかけの一つを作ったことだけはまちがいない。

 うーん。民主党というより、当時、民主党幹事長だった小沢一郎氏かあ。罪作りだなあ。
 で、習近平の次、2013年の国家主席候補ととしては、胡春華、周強らの名前を上げている。
チャイナ・ジャッジ 毛沢東になれなかった男 薄煕来の話も出てくる。まだ夫人の英国人殺人事件の発覚前で、そこには触れられていないが、経歴を追っていくだけで出世するためには手段を選ばない、ひどい人間だったという。薄煕来にはついては、筆者が『チャイナ・ジャッジ』という本を別に出しているようなので、そちらも読んでみようかと思う。
 長いノートになったが、それだけ刺激的な本。中国を冷徹に観察、分析しているが、どこか視点にやさしさというか、愛がある。筆者が中国で生まれ、育った人ということもあるかもしれない。どんなことがあったとしても愛し続ける祖国を語るように、中国を語っている。実際には幼児期に敗戦後の中国革命戦争に遭遇し、国民党が支配する長春を封鎖、兵糧攻めにし、飢餓地獄を創り出した共産党の非情な戦略を市民として身を持って経験した凄惨な過去を持っている人で、その話が終章の「未完の革命」に記録されている。それだけの経験をした人だからこそ、中国人、そして党幹部の心のなかを伺えるのかもしれない。