ブレンダン・ブラウン『ユーロは存続できるか?』

ユーロは存続できるか?

ユーロは存続できるか?

 キプロス問題を見ていると、EUの南北問題の深刻化が目に付くし、そもそも各国の金融政策の手を封じてしまうユーロという通貨そのものが存続可能かなのかどうか、というところに関心が芽生えた。そんな興味から目を通した本。2004年の出版と10年近く前の本なので、まだユーロに対して懐疑的な空気が会った時の本。どのようにユーロが生まれ、崩壊するとしたら、各国にはどのような方法があるのかが書いてあって面白い。こうして読むと(というか、筆者の分析としては)、ユーロというのは、金融・経済政策から生まれたものというよりも、政治的動機から生まれたものという色彩が濃厚。
 美しい言葉で言えば、欧州の理念であり、現実的には、いかに欧州において巨大な存在になりつつあるドイツを抑制するか、そしてフランスの威信をいかに保つか、さらに、欧州として、いかに米国のバブルやドルに振り回されない通貨を持つか、というところから生まれている。最後は経済政策と言えるが、どちらかと言うと、米国に対する嫌悪感みたいなものがベースにある。
 そして、こうした政治的な動機というか、思惑の反対側に、筆者が「金融ニヒリズム」という、もう金融政策ができることは終わったという認識がある。これは日銀の白川前総裁にも通じるもので、実際、この本の中でも、こうした「金融ニヒリズム」的な考え方をする中央銀行として、ドイツ、フランスと並んで、日銀の名前が出てきたりする。確かに、通貨を共通化するということは、各国が金融政策の自由を放棄するわけだから、その根底にあるのは、金融政策の否定かもしれない。米国や英国とは対照的なのだな。だから、英国はユーロに参加しなかったとも言えるし、デフレ対策・景気対策という面から見ると、ユーロは続くのだろうか、という疑問が出てくる。
 リーマン・ショック後、もろもろの副作用の問題を指摘されながらも、とりあえずは米国、英国の金融政策は機能し、黒田・日銀も追走を始めた。一方、ユーロ経済圏は、ECBが量的緩和に乗り出したものの、各国に金融政策の自由がないきしみが南北問題となって時として噴出する。この本でも、ユーロ崩壊の仮説のひとつとして、デフレ対策でのきしみが挙げられている。これで黒田・日銀の政策がデフレ脱却に成功することにでもなれば、ユーロ圏内の国々も、金融政策の手を封じられることに対する不満がさらに高まったりしないのだろうか。
 こうしてユーロに持続性に対する疑問、不安感が生まれ、一方で、シェールガス革命が米国の貿易収支構造を変えるという説が強まり、さらに円も日銀の量的緩和で弱くなる流れにあることを考えると、これまでの「ドル崩壊」論から「ドル復権」論へとパラダイムは変わるのだろうか。パラパラと読みながら、そんなことを考えてしまった。
 で、目次で中身を見ると...

第1章 ユーロでなくてもよかった?
第2章 創設者たちと官僚たち
第3章 分裂と崩壊
第4章 永続的な通貨同盟への旅路
第5章 後退か継続か
第6章 ユーロの危機と円の将来(日本語版への追加章)

 第3章の「分裂と崩壊」が、不可逆的といわれるユーロを脱退する国が出現したら、というシミュレーションで、第1次大戦後の「オーストリアハンガリー通貨同盟崩壊からの教訓」のほか、ケベックがカナダから独立したら、というシミュレーション、「EMUから時間をかけた段階的な離脱」「インフレあるいはデフレ脱却のための素早い戦略的な離脱」「地域的な不況に誘発された離脱」「ドイツが離脱をほのめかしている場合」などといった思考実験が行われている。いずれにせよ、マーケットでの混乱はあっても、ユーロに移行する逆ルートを走るということで、できない話ではないという。そして、通貨に「生存リスクと領域リスク」があることがユーロの特徴という。ユーロ高の時代には、この2つのリスクが忘却されていたわけだが、PIIGSやらFISHやら、すぐに語呂合わせの言葉遊びにされてしまうような領域(国)リスクやキプロス問題が散発的に発生する時代に入り、再び、この2つのリスクがユーロに重くのしかかってくるのだなあ。でも、そうなると、ドルに代替する通貨にはなれないなあ。
 最後に「金融ニヒリスト」について。筆者は、こう描写する。

(略)通貨同盟推進論者はそもそも金融政策や為替相場政策を、社会的混乱の発生が懸念される場合を除けば、マクロ経済管理の手段として使っていいのかということについて疑問を抱いているかもしれない。通貨が実体経済にそれほど大きな影響力をもつのかということに確信がないからだ。それより重要なのは構造改革である。労働市場の機能を改善する、企業家精神に新しい機会を提供する、そして、個別の財・サービス価格についてミクロ・レベルで最大限の柔軟性を奨励することによって、対外ショックに適応するために必要とされる資源のシフトを誘導することのほうが重要である。裁量的な金融政策や為替相場の変更は効果がないか、まったく信頼できないかのどちらかなのだから、独立的な通貨は廃止して、取引コストの節約をはかり、そして新たな通貨同盟のなかでは単に長期的な観点だけに基づいて金融政策を設定し、景気循環的な変動を下手にいじり回すのはやめたほうがいい、というわけだ。

 うーん。日銀の思想に似ている...。白川・前総裁の思想。そしてバーナンキFRB議長の対局。バーナンキの政策に加え、黒田・日銀総裁の新次元の金融政策が実体経済に影響を与えることができるのかどうか−−もし、日本経済の再生に効果を発揮できたならば、ユーロを支えてきた通貨同盟論の基盤のひとつが壊れることにもなるのだなあ。それを考えても、日銀の新たな政策に対して欧州から批判や疑問が出てくるのは当然のことなのだなあ。これはもう経済学の思想対立でもある。